矢田寺のあじさい、新緑の万博公園、琵琶湖水生植物園、ポンポン山登山
あじさいの季節です。関西ではあじさいといえば矢田寺ということになっています。
矢田寺は法隆寺の裏山の北面に位置する矢田丘陵にある古刹です。正式名は金剛山寺といい、天武天皇が皇太子(大海の皇子)時代、壬申の乱に当ってこの地で戦勝祈願を行ない、即位後智通僧正という高僧に勅し、白鳳5年(675)にこの寺を建立したそうです。戦国時代松永久秀に焼き払われ現在の建物はその後の復興になるものです。
平安時代、小野篁(おののたかむら)が地蔵菩薩を奉納し、以来地蔵信仰の中心として栄えてきたそうです。
様々に色を変えるあじさいの花は、その身を種々の姿に分身し民衆を救済するという地蔵菩薩の象徴だそうです。
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参道の左手の山間の斜面を利用し、色とりどり数万株といわれるあじさい園があります。
私の訪れたのは6月20日の金曜日、花はほぼ満開で、平日にもかかわらず大勢の人が来ていました。
恐らくウイークエンドは車では行かない方が良いでしょう。
あじさい園点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
接写 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
動くパノラマ写真 (現れないときはここをクリック)
左から
阪大病院 → 民俗学博物館 → 太陽の塔 → 観覧車(エキスポランド)
秋の風景はこちら
ちょっと時間がかかります。
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ポンポン山は高槻市の北東、京都府との境界付近に位置する標高679メートルの山。山頂に見晴らしのよい台地があり靴を踏み鳴らすとポンポンという音がするので(?)ポンポン山と呼ばれている。正式名は加茂勢山という。
以前、紅葉で紹介した麓の神峰山寺の駐車場に車を預け、途中、山中にある本山寺という、天台宗の古刹を通り山頂に達する。
山道はほとんど杉または檜林の中を通るが、モミ、ツガなどの自然林が残っていることでも知られている。
また、鹿、猿、猪などの野生動物が数多く生息しているらしい。実際、この日、野生の鹿と日本猿に遭遇した。
本山寺 庫裏
本山寺は、北山と号して天台宗に属し、毘沙門天を本尊とする。寺伝によれば、役の行者小角(おずぬ)が開山し、宝亀年間(770年頃)開成皇子が創建したという。
(この由来は、桜の季節に紹介した安岡寺、紅葉のときに紹介した神峰山寺とほとんど同じで、この付近一帯が古代に、葛城山系と並んで修験道の盛んな地であった事を思わせる。)
戦国時代には、三好長慶や高山飛騨守・右近父子らが寺領安堵状を出すなど、寺運は栄えた。天正年間(1580年頃)に兵火で焼失したが、豊臣秀頼が慶長8年(1603)に再建、現在の中の門は、その際伏見桃山城から移築されたと伝えられる。
江戸時代に入ると、高槻城主永井氏や皇室などの崇敬も厚く、宝永年間(1704年頃)には、徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院が大改修を行い、現在に至っている。
本山寺 本堂
当寺の聖観音立像(像高60.4cm)と毘沙門天立像(像高152.0cm)は、いずれも平安時代後期の作とみられ、昭和25年8月に国の重要文化財に指定されている。また安堵状や禁制等11通を2巻にした本山寺文書は、戦国時代や近世初頭の歴史を伝える貴重な資料として、昭和49年3月に市の有形文化財に指定された。
このほか、足利8代将軍義政が愛用したと伝えられる葡萄日月硯などがある。
昭和62年3月 高槻市教育委員会
野生の鹿
本山寺近くの山道で『がさがさ』と音がするので見上げると野生の鹿がこちらを見つめているのに出会った。
ただし、山頂で出会った地本の登山者に聞いた所、何十回も登っているがそんな経験はないと言っておられたのでよほどの偶然と思われる。
なお、下山中には野生の日本猿に出会った。 こちらの方は、登山道を真正面から来るので目をあわさないようにそっとすれ違ったのでとても写真を撮る余裕はなかった。 後ろ姿を撮ったつもりがうまく写っていなかった。
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庭 花 2003年初夏
2003.6.29
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