スイス・オーストリア 1968 目次に戻る 地図へ戻る

1968年から1969年にかけて英国原子力研究所に滞在していたとき、夏休みを利用して、スイス→オーストリア→パリ を旅行した時の記録である。私たちにとって初めてのヨーロッパ旅行だったので、その当時のごくありふれた観光地の紹介が主な内容である。

旅程は、ロンドンからジュネーブへ飛び1泊(8/3)、列車でインターラーケンへ2泊(8/4、5)して山岳鉄道でユングフラオへ、列車でベルンを経てチューリッヒ1泊(8/6)、小型飛行機でザルツブルグへとび2泊(8/6、7)、飛行機でウイーンへ飛び2泊(8/8、9)そしてパリへ といったところ。この間、生後7ヶ月の長男をバギー車にのせての強行軍。その頃は、幼児を連れの日本人は珍しかったようで結構珍しがられた。

写真はコダックのカラースライドをスキャナーで読み取ったもの。晴天時の画像は40年近く経っていることを考えればかなりきれいだが、曇天時の写真はかなり修正を施している。

ジュネーブ

レマン湖とジュネーブの町 後ろの山はサレーブ山

スイスは西部地方はフランス語圏、それ以外の大部分はドイツ語圏、イタリアに近い一部の地方でイタリア語、ロマンス語が話される。

ジュネーブはフランス語圏の中心で、人口約17万人、以前は国際連盟の本部があり現在も多くの国際機関の本部が置かれている国際都市である。

その歴史は古くローマの植民都市に始まる。

また、シャモニーにちかくアルプスへの入り口でもある。

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宗教改革者像
左2人目がカルビン

湖上の大噴水
高さ138m


パレ・デ・ナシオン
旧国際連盟本部

湖岸の別荘

車窓風景
モントルー・ツバイジンメン間

ベルナー・オーバーランド(インターラーケン・ユングフラウ)

インターラーケンから望遠レンズで望んだユングフラウ(4158m)

手前下方はラウターブルネンU字谷

インターラーケンは湖の間という意味で、西のトゥン湖、東のブリエンツ湖を隔てる町。ユングフラウ、アイガーなどの名山を含むベルナーオーバーランド地方への基地。

ここから登山鉄道で、グリンデルワルド→クライネシャイディック→ラウターブルネンといった駅を巡る。ヨーロッパアルプスの最も典型的な風景が望める。


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トゥン湖

ブリエンツ湖

ンターラーケンの町

ホテル

グリンデルワルド付近を行く登山鉄道

右上の山はヴェッターホルン(3701m)

ところで、スイスを中心にしたヨーロッパアルプスには多くの名山がありその麓に有名な保養地がある。

西から、最高峰フランスのモンブラン(4807m)シャモニー、マッターホルンとツェルマット(3883m)といったところ。

シャモニーにはいったことがあるが、やはり最もアルプスの景観が楽しめるのはここベルナー・オーバーランドではなかろうか。

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ヒュッテと
ヴェッターホルン

グリンデルワルド

アイガー
(3970m)

クライネシャイディック駅とアイガー

アイガー北壁

メンヒ
(4099m)

ユングフラウ
クライネシャイディックより

大アレッチ氷河

アイスメールより

シュタウブバッハ滝

ベルン


ベルンはスイス連邦の首都。人口約14万

左写真は中心街の一つシュピタル通り。向こうに言えるのは時計塔

曇天のため写真不良


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連邦議事堂

ミュンスター
(大聖堂)

ミュンスター入口
地獄の像

万国郵便記念碑

ニューディック橋

チューリッヒ

スイス最大の町。といっても人口は約40万。
産業・金融の中心都市

チューリッヒ湖に注ぐリマト川の両岸に広がる。

町は古くカール大帝が設置したといわれるロマネスク様式の大聖堂がある(グロスミュンスター)

左写真はリマト川


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チューリッヒ湖

グロスミュンスター

ザルツブルグ 町の解説と最近の様子はこちら

ホーエンザルツブルグ要塞から眺めたザルツブルク市街

川はザルツァッハ川


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ホーエンザルツブルグ要塞

要塞の大砲

ドーム
(大聖堂)

モーツアルトの
生家

ヘルブルン宮殿
司教の夏の離宮

ウイーン

ハプスブルグ帝国の首都、音楽の都 

見るべき所はあまたあるが、後ほど別の機会に行った時の記録を掲載するのでここでは省略。


この後パリへ

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