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季節の草木 2004.3.12 更新
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庭花 2003.12.28 更新

梅便り

長岡天満宮(長岡京市) 2004.3.10

長岡天満宮は、下の光明寺と同じく、京都西山の麓、長岡京市にあります。この地は、菅原道真(すがわらみちざね)が若い頃、親友の在原業平(ありはらのなりひら)らと共にしばしば訪れ詩歌管弦を楽しんだ所で、道真が藤原時平の讒言により太宰府に流される時、ここに立ち寄り『わが魂長くこの地にとどまるべし』と名残を惜しんだと伝えられています。これを伝え聞いた、現宮司の祖先である中小路宗則が、管公自作の木像を持ち帰り祠を建てお祀りしたのが、この天満宮の起源であるという。現在の本殿(上写真)は昭和16年に京都の平安神宮の旧本殿を移築したものだそうです。
管公が好んだ梅は、ここの天満宮にも多数植えられており、裏山には小さな梅林があります。その中のいくつかを紹介します。

おうしゅくばい

鴬宿梅と書き、その名にちょっとした由来がある。

村上天皇(946-967)の頃、御所の清涼殿の梅が枯れたので、紀貫之(きのつらゆき)の娘、紀内侍(きのないし)庭の梅を移植し、『勅なれば いともかしこし鶯の 宿はと問わば いかが答へむ』という歌をつけておいた。これを読んだ天皇は感じ入りその梅を持ち主に返したという故事にちなむ。

梅林点描

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梅林

紅しだれ

紅しだれ(近接)

白しだれ

白しだれ(近接)

鹿児島紅梅(近接)

一重寒紅梅

八重寒紅梅

白加賀梅

ゆうこうばい

紅 葉 

光明寺(長岡京市) 2003.12.2 Camera :CANON EOS Digital Kiss


光明寺は京都西山にある西山浄土宗本山で法然上人が13世紀初頭初めて浄土宗を開いた寺です。そのため、法然上人にまつわる堂塔や、遺品が納められた由緒ある寺です。そして、知る人ぞ知る紅葉の名所です。
今年は、天候不順で各地とも紅葉が進まずもうひとつの所が多い中、ここの脇参道である薬医門を中にした紅葉参道は『すばらし』の一語に尽きます。

境内の点描

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総門と参道
(内側から)

正面参道

御影堂(本堂)
法然上人自作の張子の御影が収められている

左から 鐘楼・法然上人像・御影堂

阿弥陀堂

薬医門

紅葉参道
薬医門内側

紅葉参道
薬医門外側

書写山円教寺(姫路) 2003.11.26

書写山円教寺は西の比叡山と呼ばれる天台宗の古刹。

姫路市の北郊、書写山の山中に数多くの堂塔が点在する。西国霊場第7番札所。

西暦966年性空(しょうくう)上人によって開かれた。

武蔵坊弁慶が少年時代修業した寺といわれている。

紅葉の名所としてしられている。 最近、話題になった映画『ラスト・サムライ』の舞台となったことでも有名。

左写真は最も有名な摩尼殿。京都の清水寺と同じ舞台作りの堂。創建は西暦970年。
大正10年に全焼し昭和8年に再建されたもの。

右 大講堂、左 食堂(じきどう) さらに左手にある常行堂と共に三つの堂と呼ばれている寺の中心的建物。いずれも国指定重要文化財。食堂は後白河法皇の勅願で創建された。修業僧の寝食のための建物で、別名『長堂』と呼ばれる長さ40mもある二階建ての大建築。

境内の点描

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仁王門
摩尼殿
内殿

常行堂

左 護法堂
(弁慶の学問所)
右 開山堂

金剛堂

瑞光院

本田家廟所
徳川四天王の一人本田忠勝の墓もある

弁慶の鏡井戸

弁慶井戸のいわれ

参道

ポンポン山登山 2003.4.16

 ポンポン山は高槻市の北東、京都府との境界付近に位置する標高679メートルの山。山頂に見晴らしのよい台地があり靴を踏み鳴らすとポンポンという音がするので(?)ポンポン山と呼ばれている。正式名は加茂勢山という。
以前、紅葉で紹介した麓の神峰山寺の駐車場に車を預け、途中、山中にある本山寺という、天台宗の古刹を通り山頂に達する。
 山道はほとんど杉または檜林の中を通るが、モミ、ツガなどの自然林が残っていることでも知られている。
また、鹿、猿、猪などの野生動物が数多く生息しているらしい。実際、この日、野生の鹿と日本猿に遭遇した。

本山寺 庫裏

本山寺は、北山と号して天台宗に属し、毘沙門天を本尊とする。寺伝によれば、役の行者小角(おずぬ)が開山し、宝亀年間(770年頃)開成皇子が創建したという。

(この由来は、桜の季節に紹介した安岡寺、紅葉のときに紹介した神峰山寺とほとんど同じで、この付近一帯が古代に、葛城山系と並んで修験道の盛んな地であった事を思わせる。)
 
 戦国時代には、三好長慶や高山飛騨守・右近父子らが寺領安堵状を出すなど、寺運は栄えた。天正年間(1580年頃)に兵火で焼失したが、豊臣秀頼が慶長8年(1603)に再建、現在の中の門は、その際伏見桃山城から移築されたと伝えられる。
 
 江戸時代に入ると、高槻城主永井氏や皇室などの崇敬も厚く、宝永年間(1704年頃)には、徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院が大改修を行い、現在に至っている。

本山寺 本堂

当寺の聖観音立像(像高60.4cm)と毘沙門天立像(像高152.0cm)は、いずれも平安時代後期の作とみられ、昭和25年8月に国の重要文化財に指定されている。また安堵状や禁制等11通を2巻にした本山寺文書は、戦国時代や近世初頭の歴史を伝える貴重な資料として、昭和49年3月に市の有形文化財に指定された。
 このほか、足利8代将軍義政が愛用したと伝えられる葡萄日月硯などがある。

昭和62年3月 高槻市教育委員会

野生の鹿

本山寺近くの山道で『がさがさ』と音がするので見上げると野生の鹿がこちらを見つめているのに出会った。

ただし、山頂で出会った地本の登山者に聞いた所、何十回も登っているがそんな経験はないと言っておられたのでよほどの偶然と思われる。

なお、下山中には野生の日本猿に出会った。 こちらの方は、登山道を真正面から来るので目をあわさないようにそっとすれ違ったのでとても写真を撮る余裕はなかった。 後ろ姿を撮ったつもりがうまく写っていなかった。

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庭 花 2003年冬

2003.12.28
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パンジー

ヴィオラ

パンジー

ヴィオラ

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チロリアン・デイジー

ストック

イベリス

寄せ植え

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