← 大徳寺三門(金毛閣)千利休が二階部分を寄進し自身の木像を安置したところ。
洛北紫野にある大徳寺は大燈国師(1282-1337)を開山とする臨済宗大徳寺派の本山でかっては京都五山の第一として広大な寺域を誇ったが室町時代南朝に味方したため五山から外され衰退した。しかし、戦国時代多くの戦国大名がここを菩提寺と定め塔頭を寄進したため現在も妙心寺や南禅寺とほぼ同規模の大寺院である。
特に戦国時代末期、一休和尚が住持となりその教えを受けた多くの武将・文化人・堺の大商人などが集まり茶道など禅文化の一大発信地となった。そのため多くの貴重な文化財が残されているようだが、現在でも菩提寺としての機能を重視ししてかほとんど公開されていない。
大徳寺点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
勅使門 江戸時代御所から移築した |
三 門 (金毛閣) 二階は利休の寄進 |
大仙院 石庭で有名 (公開) |
芳春院参道 (前田家菩提寺) |
芳春院入り口 内部は非公開 |
三玄院入り口 (非公開) |
三玄院由緒 |
総見院 (信長の菩提寺) 非公開 |
高桐院
高桐院は戦国武将細川忠興(三齋 初代幽齋の長子)によって1601年に建立された塔頭である。
大徳寺境内西側に位置し、林や竹林が生い茂る広い境内を持つ。現在常時公開されている数少ない塔頭の一つである。
今回はここを拝観した。
左の写真は建物入り口にいたる長い参道。
高桐院点描(新緑の頃) 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
船岡山から南方西陣付近を望む 船岡山は北大路通りを隔てて大徳寺の南に広がる小高い丘。西陣の北に位置し応仁の乱の戦場にもなったという。京都市内の眺望がよい。遠方の山は西山から大阪方面
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つくし |
れんげ |
たんぽぽ |
おおいぬのふぐり |
ひめおどりこそう |
はこべ |
きんぽうげ |
はなにら |
ふきのとう |
からすのえんどう |
2005.3.30
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ベロニカ・オックス フォード・ブルー |
ベロニカ・オックス フォード・ブルー |
パンジー |
パンジー |
パンジー (フリル) |
ビオラ |
ストック |
わすれな草 |
ヒヤシンス |
ミニ金魚草 |
ムスカリ |
パンジーと ビオラ |
パンジー |
ビオラ |
パンジー (マジシャン) |
ビオラ (フィオリーナ) |
ビオラ (フィオリーナ) |
ビオラ (フィオリーナ) |
寄せ植え |
寄せ植え プリムラ・ジュリアン |