戻る 2006.11.21
京都市の北西部から始まる周山街道(国道162号線)を北へ数キロ行くと清滝川に沿って三尾(さんび)と呼ばれる、京都近郊きっての紅葉の名所がある。下流(南)から高尾には神護寺、槙尾(まきのお)には西明寺、栂尾(とがのお)には高山寺といずれも平安初期の創建になる真言密教系の古刹がある。紅葉シーズンの休日はこの付近の道は大渋滞になりなかなか近づけないが、好天に恵まれた11月21日(火曜日)朝早く家を出、嵐山・高尾パークウエイという有料道路(駐車料込み \1,150)を通り高尾の駐車場へ車を止めて,、あとは足で三山を巡った。午前9時半頃着いたがこの時間だと駐車場はまだガラガラであったが帰り(12時頃)になるともう満車状態であった。
神護寺
奈良時代後期から平安遷都にかけて活躍した和気清麿(わけのきよまろ)がこの地に寺院を建てたのが始まりといわれるが、その後伝教大師最澄や弘法大師空海が招かれ、弘法大師は大唐国から帰国後この地に籠もり研鑽したという。いわば我が国における真言密教発祥の地ともいえる。三尾の中で最大の寺域を占める大寺である。
左の写真は境内最大の建造物である本堂。中には本尊薬師如来立像(国宝)などが安置されている。建物は昭和になってから再建された。
この後ろの山手に多宝塔、手前の少し下がった平地に五大堂、毘沙門堂、大師堂などの諸堂が並んでいる。左手を入っていくと突然視界が開け「かわらけ投げ」で有名な錦雲渓が望める。 また右手奥から和気清麿公の墓所へ至る小径が通じている。
創建後火災により荒廃したが、鎌倉時代初期に源頼朝に挙兵を勧めた文覚上人により再興され寺内には、頼朝の肖像画(非公開)など国宝16点を含む平安時代、鎌倉時代の由緒ある仏像や貴重な文化財が寺宝として残っている。
高尾橋 ここから山門まで かなりキツイ |
山 門 |
山門内広場 |
毘沙門堂 |
五大堂 |
本堂脇 |
本堂を望む 右は毘沙門堂 |
錦雲渓 かわらけ投げの名所 |
苔の小径 清麿の墓へ至る |
和気清麿 墓所 |
大師堂 |
大師堂横の紅葉 |
多宝塔 昭和の建造 |
参道脇の茶店 |
弘法大師の高弟智泉が神護寺の別院として創建したのに始まるという。何度か焼失したが現在の本堂は江戸時代元禄期に桂昌院の寄進により再建されたもの。
他の二寺に比べこじんまりしているが紅葉は見事である。
西明寺点描(参道入り口から順路に沿って) 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
高山寺 開山堂
宝亀五年(774)光仁天皇の勅願により神願寺都賀尾坊として開創された。
鎌倉時代明恵上人により、後鳥羽上皇、藤原氏の帰依を受け再興され、高山寺と改称された。
左写真は開山(明恵上人)堂
境内の石水院は明恵上人の学問所として後鳥羽上皇から賜った建物で鎌倉時代の建物で国宝に指定されている。また、所蔵物としてマンガの元祖といわれる鳥獣戯画(国宝)など貴重な文化財が数多く残っている。(ただし本物は他所にある)
また裏山で我が国で初めて茶が栽培され茶の発祥地としても知られている。
高山寺点描(参道入り口から順路に沿って) 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
周山街道から西明寺方面を望む
清滝川
高山寺近くの清滝川の谷を望む
嵐山・高尾パークウエイ保津峡展望台から保津峡を望む
この川を上流の亀岡から嵐山渡月橋付近まで保津峡下りの舟が通る。
また、川沿いの旧国鉄山陰線の路線を利用したトロッコ列車が走っている。
この他、この自動車道には京都市街を一望出来る菖蒲ヶ丘展望台などがあり、また紅葉のトンネルをくぐるような所もあり料金に見合う価値がある。 あまり混んでいないのもいいところ。
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