京都市の北東隅、比叡山の山裾に広がる洛北修学院・一乗寺の地には以前紹介した修学院離宮、曼殊院、詩仙堂など有名な寺社が点在するが、その他にも大小の紅葉の名所がある。今年は、あまり知られていない金福寺、園光寺、そして5月のさつきでも有名な詩仙堂を訪れた。
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平安時代初期、慈覚大師円仁の遺志により創建されたという古寺であるが、永らく荒廃しており、江戸時代初頭に、次ぎに紹介する園光寺の住職鉄舟により再興されたという臨済宗南禅寺派に属する小寺である。
一時、俳聖松尾芭蕉が訪れ、芭蕉と親しかった鉄舟により寺の裏山に芭蕉庵という小庵が建てられた。これも荒廃していたが、江戸中期になって芭蕉に心酔する与謝蕪村がここを訪れ再興し、句会を開くなど、洛中洛外の俳人が集う場所になったという。そのため裏手の山裾には蕪村を始め、俳人・文人達の墓がある。
また、幕末には、井伊大老の腹心長野主膳の愛人で密偵を勤めた村山たか女が、桜田門外の変後、攘夷派に捕えられ三条河原に晒されるも処刑は免れ、この寺で出家し、妙寿尼と名乗り晩年をここで過ごしたという。
金福寺点描 サムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
本堂前の庭園から階段を少し上った小高い平地に茶室風の小庵がある。
園光寺の鉄舟和尚が芭蕉のため作った小庵を与謝蕪村が再興し句会などに使ったといわれている。
さらに、裏手の坂道を登ったところに蕪村を始め文人達の墓や碑がある。
芭蕉庵点描 サムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
江戸初期 徳川家康が関東の足利学校から学頭を招き京都における学問所として伏見に創立したのが起源。何度か消失したが、1667年にこの地、一乗寺小谷町に移築され現在に至っている。
臨済宗南禅寺派の禅寺で研修道場ともなっている。
宝物館には円山応挙筆の大きな屏風画や当時書籍の出版に使われた木製の組版などが展示されている。
本堂前には大きな庭園があり紅葉が見事である。
裏手の小高いところに家康の供養塔がある。その近くに見晴らしのいい場所があり洛北の風景が一望できる。
園光寺点描 サムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
詩仙堂は徳川家譜代の武将で家康に仕え大阪夏の陣でも活躍した石川丈山が徳川家を離れた後、この地に居を定め、
その中の一堂として建てたものである。現在は曹洞宗永平寺の末寺となっている。
丈山はここで多くの文人墨客と交わり、自身も漢詩や書の大家として名を残している。
庭園には見事なサツキの植え込みがあり、秋の紅葉も見事である。また、園内には鹿おどしが設置されており澄んだ音色を聞かせてくれる。
このあたりでは敷地も大きく、有名な観光地でありこの日も多くの観光客を集めて賑わっていた。
詩仙堂点描 サムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
白川通り
この一帯の坂道を下りきったところを通っている白川通り
年末の都道府県対抗女子駅伝など京都で催されるマラソンや駅伝の折り返し点近くの大通りでテレビでよく放映される所である。
この季節は銀杏や欅の紅葉が見事である。