2009.6.8 〜 .18
最近ドイツでは観光客誘致のためか、色々な名前の観光ルートを設定している。フランクフルトからベルリンに至るドイツの中心部を横断する道をゲーテ街道と名付けているが、これはフランクフルトで生まれ、ワイマールで人生の大半を過ごした文豪でありかつ政治家でもあったゲーテにちなんだものである。
この地域は我々がドイツ文化として思い浮かべる重厚で深遠な文学や音楽の揺籃の地で最もドイツらしい地域といえるであろう。ただ、東西ドイツ統合以前は東ドイツに属し、我が国からは訪れにくい地域であったが統合後復旧が進み最近脚光を浴びている。
その中心に位置するライプチッヒはバッハが人生の後半を過ごした地であり、毎年夏に「ライプチッヒバッハ音楽祭」が催される。今回の旅行は、この音楽祭に参加することを主な目的とし、フランクフルトから、アイゼナハ、ワイマール、ライプツィヒ、ドレスデン、ベルリンと街道沿いの主要な都市をバスで巡った記録である。なお、メインイベントのバッハ音楽祭の模様は音声付きで別ページで見られます。ここをクリックして下さい。
← 左の地図からも目的地へ飛べます
← バッハ(1685-1750)の生家
アイゼナハはバッハの生家がある人口約5万の小都市で、旧東ドイツの西端に位置しチューリンゲン州に属している。
バッハは1685年この町で音楽家一家の子として生まれ、1703年までの少年時代をこの地で過ごし音楽の修行をした。現在生家は、新しく建てられたバッハ博物館に附属し開放されている。
バッハ博物館でのミニコンサート
博物館の中には小さなホールがあり見学者のためのミニコンサートが催される。
ここをクリックすると右奥にある小さなオルガンで奏でられる音楽を聴くことが出来ます。
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ワルトブルグ城
町の西方の小高い山の頂上にはワルトブルグ城という古城がある。
11世紀にチューリンゲン伯ルードヴィヒ・シュプリンガーが建てたといわれている。
中世にはこの城の大広間で吟遊詩人の歌合戦が行なわれ、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」の舞台になった所である。
城内には、13世紀初頭この城に嫁いできたハンガリー王国の皇女であり又その様々な善行と没後の奇跡により聖女に列せられたエリザベートが過ごした豪華な部屋がある。
また、ルター(1483-1546)は城主の庇護の下に、この城の一室で新約聖書のドイツ語訳を執筆した。
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城 中庭 |
大広間 歌合戦が催された |
エリザベートの奇跡 *1 |
エリザベートの部屋 |
ルターの部屋 ここで聖書のドイツ語訳が書かれた |
ルター夫妻肖像画 |
ルター自筆の原稿 |
駅から見た ワルトブルグ城 |
ワルトブルグ城から見たアイゼナハ *2 |
城ホテル |
*1 若い王妃エリザベートは夫に内緒に貧しい人々に、薔薇を配っていると偽り、パンを配っていたが、ある日その挙動を怪しまれて、担いでいる袋の中身を見せるようにいわれた。そうするとと、不思議なことに、パンが薔薇に変わっており疑いが晴れたという。
*2 遠方に多数の風力発電用の風車がある。原子力発電を禁止しているドイツではいたる所にこのような風車が見られる。
アイゼナハ点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
← ワイマール国民劇場 正面に立つ像はゲーテ(1749-1832)とシラー(1759-1805)
ワイマールはチューリンゲン州の小都市であり古くから文化都市として知られている。
ゲーテは、彼の初期の著作「若きウェルテルの悩み」を読んで感激したという国王に招かれワイマール公国の宰相として起用され、生涯の大部分をこの地で過ごした。政治だけではなくシラーを招くなど文化活動にも力を入れ、多くの芸術家・文化人が活躍した。音楽家としてはリスト、画家のクラナッハなどが有名である。
左の国民劇場は、ウイリアムテル、ファウストなどのいわゆる疾風怒濤時代の演劇が初演され、またシューマン(1810-56)、ワーグナー(1813-83)、リヒアルト・シュトラウス(1864-1949)などの作曲家もここで指揮者として活躍した。
また、第一次大戦で敗北した後、ワイマール憲法が起草されたのもこの劇場である。
ワイマール点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
国民劇場の前の ゲーテとシラー像 |
市庁舎と マルクト広場 |
ゲーテの家と ゲーテ博物館 |
ゲーテの家の前 |
ゲーテの家の後ろ |
ゲーテの使った馬車 |
リストの家 博物館として公開されている |
レンズで有名な ツアイスの家 |
ライプツィヒ旧市街 ライプツィヒ大学の図書館タワーから眺めた旧市街
ライプツィヒはドレスデンと同じザクセン州の主要都市で、ドレスデンが政治の中心であるのに対し、ここは中世から交易の中心都市として栄え現在も商工業都市として発展している(人口は約50万)
15世紀初頭に建立されたライプツィヒ大学はゲーテやニーチェ(1844-1900)、日本の森鴎外(1862-1922)なども学んだ伝統のある大学であるが、近年近代的な建物も建てられ、この写真も図書館として建てられたタワーの屋上から撮ったものである。
左手中央の尖塔は、バッハが音楽監督を務めた聖トーマス教会、右手やや下方の煙突の立つ長い屋根の建物は旧市庁舎でそのむこうにマルクト広場があり旧市街の中心である。
← 聖トーマス教会 1723〜1750の長きに渡ってバッハが音楽監督(トマス・カントル)を務めた教会で、音楽祭のメイン会場でもある。
建物に隣接しバッハ博物館があり、音楽監督就任の契約書や自筆の楽譜が展示されている。
ライプツィヒにはこの他、同規模のニコライ教会があり巨大なオルガンが備えられておりこちらでも音楽会が催される。
なお、バッハ音楽祭の模様は音声付きで別ページに紹介する。
教会の内外点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
ニコライ教会 東ドイツ崩壊のきっかけはこの教会での集会から始まった |
ニコライ教会の 大オルガン |
ニコライスクール ワグナー*1や ライプニッツ*2も学んだ | *1 ワグナー(1813-83) *2 ライプニッツ(1646-1716) いずれもライプツィヒ生まれ |
音楽会場はもちろん教会だけでない。ライプツィヒにはゲバントハウスという音楽会場があり、附属するゲバントハウス管弦楽団は、市民により設立されたオーケストラとしては世界最古といわれている。ハンブルグ生まれのメンデルスゾーン(1809〜47)も若干26歳でここの音楽監督に招かれゲバントハウスの名声を高めた(現在音楽監督は リッカルド・シャイー)。また立派なオペラハウスもある。
ゲバントハウス |
オペラハウス |
旧市庁舎とマルクト広場
旧市街のほぼ中心に旧市庁舎があり、その前にマルクト広場がある(ドイツの都市はほぼ例外なくこのような場所がある)。
現在旧市庁舎は一階がレストランや店が入っており、二階は大広間や博物館として使われている。大広間は音楽祭の会場としても使われる。
この日は天候不順で広場の人影はまばらだが、日曜日には市が立ち大勢の市民が訪れる。
旧市街点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
辻音楽師
「主よ人の心に喜びを」 (J.S.Bach)
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メンデルスゾーン・ハウス
メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy 1809〜47) は裕福なユダヤ系銀行家の子としてハンブルグで生まれたが、人生の後半をここライプチィヒで過ごし、作曲や指揮、ゲバントハウスの音楽監督を務めるなど活躍する一方、埋もれていたバッハの音楽の発掘にも熱心で、バッハの最高傑作の一つ「マタイ受難曲」をバッハの死後初めて演奏したのも彼である。
今年は生誕200年に当りバッハ音楽祭の主役の一人になっている。オープニングコンサートでは、メンデルスゾーンの宗教曲「エリア」が演奏され、二日目にはメンデルスゾーンが1843年にゲバントハウスで行なったたコンサートが再現された。
当時住んでいた家は博物館として公開されている。館内には当時使われていた家具や楽器の他、自筆の水彩画が展示してある。実はメンデルスゾーンは絵画も巧みで、「フィンガルの洞窟」や「イタリア」、「スコットランド」交響曲など、自然描写的な曲が多く、標題音楽の創始者といわれるのもうなずける。
メンデルスゾーン・ハウス点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
旧市街を取り巻くリング道路(昔城壁のあった所)のすぐ外に巨大な中央駅がある。
昔から交易の中心地として栄えた所にふさわしく、近代になってもドイツ国内やヨーロッパ各地へ向かう鉄道の終着駅となっており、駅舎はヨーロッパでも最大級の大きさである。
内部には大きなショッピングセンターもあり賑わっている。
中央駅点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
対岸から見たドレスデン旧市街 ここをクリックするとより広いパノラマ写真が現れます。 画像をスクロール(左右に動かす)してご覧下さい。
ライプツィヒをさらに東に行くと、ザクセン州の州都であり、中世からザクセン公国の宮廷所在地であったドレスデンに至る。旧市街には数多くの宮殿や尖塔が立ち並びエルベ川の対岸からみた風景は絶品であり、エルベのフィレンツェとも呼ばれている。つい最近までユネスコの世界遺産に登録されていたが、最近になって少し下流に自動車用の橋が建設されることになり、登録が取り消された。確かに、この規模の町にしては橋が少なく、市民が登録の抹消より橋の建設を優先させたことは理解できる。なお、ここには昨年家内と娘がきておりその折の様子がここにあるので参考にして下さい。
ドレスデン点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
フラウエン教会 |
フラウエン教会 内部 |
演奏会 |
聖十字架教会 |
シュッツ レリーフ *1 |
*1シュッツ(Heinrich Schutz 1585-1672)バッハより100年前に生まれた作曲家。聖十字架教会の音楽監督を務め多くの宗教音楽を作曲しバッハに至る作曲の手法を築いた。 |
ドームから見た エルベ |
ドームから見た 王宮地区 |
ヒルトンホテル |
ドイツ料理 |
アウグスト強王(1670〜1733)が古くからの王宮(ドレスデン城)に隣接して、自らの居城として建てた、ロの字型の宮殿。現在は絵画館(アルテ・マイスター)や色々な博物館として利用されている。
特に絵画館の収蔵品は見事。
内容は以前紹介したので一部にとどめておく。
ツヴィンガー宮殿点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
ゼンパーオーパ−
説明はこちら
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ドレスデンの町からエルベ川に沿って上流(東方)に向かうとやがてチェコとの国境の山岳地帯へ至る。この辺りの地盤はかって海底
にあったらしく柔らかく、川の浸食作用で剔られ特異な景観を示す。特にバスタイ渓谷と呼ばれる地域は美しくザクセンのスイスとよばれる。
右側にある石造の橋はバスタイ橋と呼ばれこの地域のハイライトである。
ドレスデンの建造物の材料として使われる石材(砂岩)はこの辺りから取られ、鉄分を多く含むので、空気にさらされると黒ずんでくる。ドレスデン市内の建物の古い部分が黒ずんでいるのはこのためである。
パスタイ渓谷点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
エルベ川の上流の河岸は昔から高級住宅地だったようで、ワグナーやメンデルスゾーンの別荘もあったらしい。さらに上流にアウグスト強王が建てた離宮ピルニッツ宮殿がある。中国風の作りで少々悪趣味に思えるが広大できれいな庭園がある。
ここから、ドレスデンへ向かうエルベ下りの観光船が出る。
エルベ川クルージング点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
ピルニッツ宮の ナツツバキ *1 |
エルベ下りの 外輪船 |
川から見た ピルニッツ宮 |
川辺のお城 |
高級住宅地 |
ザクセン州首相府 |
川辺のブドウ畑 |
*1 江戸時代にスエーデンの植物学者ツェンベリがオランダ商館を通じて日本から持ち帰った木を大事に育てているそうである。
←アルブレヒト城
マイセンはドレスデンの近郊にあり、ヨーロッパで初めて磁器が作られた所である。左の写真はマイセンの領主の城ではじめは製法の秘密が漏れないように、この城の中で作られていた。現在では町中に工場があり一部を磁器博物館として公開しており、日本語のガイドツァーもある。
町の解説はこちら
ベルリン点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
フンボルト大学 正面入り口 |
プランク像 量子力学の創始者の一人 |
ヘルムホルツ像 |
ウイルヘルム 記念教会 |
ベルリン大聖堂 プロシア王家の 菩提寺 |
シャルロッテン ブルグ |
ポツダム広場の塔からみた ブランデンブルグ門 |
ダイムラー・メルセデスタウン |
ダイムラータウンの ショッピングモール |
フィルハーモニー |
夕日の フィルハーモニホール |
ペルガモンの祭壇(ペルガモン博物館)
ペルガモン博物館は主に古代地中海世界の建造物や石像を出来るだけ当時の姿に近い形で展示する巨大な博物館である。
ペルガモンは現在のトルコにあるギリシャ都市
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