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歴 史 散 歩 (10)

いましろ大王の杜(もり)  2011.4.6

はにわバルコニーから見た全景 手前が埴輪(ハニワ)群、後方が墳丘
ここ(または画像)をクリックすると大きなパノラマ写真が見られます。IE7の場合、現れた写真の上にマウスポインターを置き矢印が+印(拡大)になった所でクリックするか、拡大率を400%以上てして見て下さい。画面がはみ出るので左右にスクロールして下さい。

高槻市にある今城塚は、すでに別ページでも紹介したように、第26代継体天皇の真の墳墓と考えられている(公式には茨木市太田にある藍野稜が御陵とされている)淀川北岸では最大級の古墳で、一般の人も自由に出入りできる、恐らく全国唯一の、大型大王陵である。特に2002年に発見された、古代朝廷の祭祀を模したと考えられている大型埴輪群はNHKの特別番組でも紹介されたことがあり大変貴重な遺跡である。かっては荒れるに任されていたが、その重要性に鑑み高槻市が整備し、同時に建設されていた今城塚古代歴史館とともに「いましろ大王の杜」と名付けられ、この四月歴史公園として一般に公開された。歴史好きの人には必見のスポットです。早速(2011年4月6日)私も見学に訪れ、見所を写真に収めてきたので紹介しておきます。なお、入場は無料で写真撮影も自由です。交通アクセスなど詳しいことは公式サイトをご覧下さい。

← 見取り図

墳丘は典型的な前方後円墳で、二重の壕に囲まれている。外壕を含めた全長は約350m とかなり巨大な古墳である。

整備されたのは墳丘を除く壕や堤で、内壕の前方部に面した所にのみ水が張られており、それ以外の壕は空壕として整備されている。内壕と外壕の間の堤はかなり広く、手前(北側)の堤に接して埴輪祭祀場と名付けられたテラスがあり、ここに復元された埴輪群がほぼ元の位置に置かれている(本物は古代歴史館に展示してある)


墳丘そのものは手を加えらえておらず、自由に登ることが出来る。

別の方向から見た墳丘


南東側から後円部を望む


北西側から前方部を望む。 堤の内側に沿って膨大な数の円筒埴輪が並んでいる。


←祭祀はにわ


 内壕と外壕の間にある堤に作られた祭祀はにわ

 古代の朝廷の儀式を模したものと考えられている。



祭祀はにわ点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


動物と衛兵?

祭祀はにわ

外壕から見た
祭祀場

墳丘頂上からの遠望

古墳公園点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


公園入り口

墳丘登り道

墳丘頂上付近

外壕と前方部

今城塚古代歴史館

歴史館の正面 地方都市の博物館としてはなかなか立派
公式サイトはここ

祭祀はにわ群 発掘された断片を貼り合わせ復元したようだ 家形石棺 残っていた断片から明らかになった九州産の石材を使って実物大に復元した。以前、これを運ぶこむイベントが催された。

公園に隣接して(北側)主にこの古墳の出土品を保存・展示するための博物館が作られ公園と同時に公開された。上の写真左は祭祀埴輪群で、実際に発掘された断片を使って復元されたもののようだ。発掘時の様子はここ。これらの埴輪は、同じく高槻市にある巨大な埴輪工房で作られたと考えられている。 右の写真は、破片が残っていたこの古墳の主を収めた石棺を当時と同じ九州産の石材を使い復元したもの。九州から舟で運んできたもので、搬入時に市民が修羅に載せ運び込むイベントが催された。その様子はここ

なお、この古墳の出土品以外でもこの近辺に多くある古墳や遺跡の出土品も多く展示されている。以下にその一部を紹介しておく。

展示品いろいろ 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


円筒はにわ

各種はにわ

安満宮山古墳
出土品

阿武山古墳
(鎌足の墓?)
出土品と復元品

昼上車塚古墳出土の狩りの埴輪


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