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渦電流とスピーカーの動特性

科学的とは 投稿者:KN  投稿日: 2006年3月30日(木)20時24分30秒

サイトに書かれていることにはまったく納得する事が多いのですが、逆におかしな所がたくさんあります。 例えば「フェライト磁石とアルニコ磁石との差はない」、という所で、単なる磁石として考えた場合は、エネルギー積が高ければそれで終わりです。 しかし、動的な観点が完全に欠落しています。つまりボイスコイルから発生した磁束は磁力を振らせ、その変動によって磁気回路に渦電流が発生し、これを熱に変換するなりして吸収するなり結果が発生します。 この点から不導体であるフェライト磁石とアルニコ磁石との差はないとはとんでもない発言です。このような単一的な観点からものを考えるのは「専門家」であっても「科学者」ではありません。 批判的なことをいうようですが、現実に対して厳格な態度を取ることこそが科学的であるのであって、自分にわかっている事だけを用いて対象をモデル化することではありません。

Re 科学的とは 投稿者:志賀 投稿日: 3月30日(木)21時44分6秒  
KN  さん

<サイトに書かれていることにはまったく納得する事が多いのですが、逆におかしな所がたくさんあります。 例えば「フェライト磁石とアルニコ磁石との差はない」、という所で、単なる磁石として考えた場合は、エネルギー積が高ければそれで終わりです。 しかし、動的な観点が完全に欠落しています。つまりボイスコイルから発生した磁束は磁力を振らせ、その変動によって磁気回路に渦電流が発生し、これを熱に変換するなりして吸収するなり結果が発生します。 この点から不導体であるフェライト磁石とアルニコ磁石との差はないとはとんでもない発言です。>

渦電流のことは書いていないですが承知しています。しかし、渦電流はボイスコイル周辺を中心に電流・磁束変化は減衰していきます。つまり、鉄製のセンターポールやヨークの所に流れ外磁型であるフェライト磁石は最も遠くにあり仮に金属製であってもほとんど流れないでしょう。それに、気の効いたスピーカーなら、ショートリンクや、銅リンクをつけてそこに流すように設計してあります。逆にアルニコの場合、内磁型なのでセンターポール付近に鉄より電気抵抗の大きい合金があるとかえって不利になる可能性すらあります。これは、計算するなり測定するなりしなければわかりませんがご存知なんですか?

<このような単一的な観点からものを考えるのは「専門家」であっても「科学者」ではありません。 批判的なことをいうようですが、現実に対して厳格な態度を取ることこそが科学的であるのであって、自分にわかっている事だけを用いて対象をモデル化することではありません。>

私はオーディオ機器の「専門家」ではないので、見落としているところ、省略しているところは多々あるとおもいます。そういうところを指摘して頂くのは大いに歓迎するところです。しかし、あくまで物理的・科学的な議論に限りましょう。一方的な決めつけはいただけません。

Re2 科学的とは 投稿者:志賀 投稿日: 3月31日(金)06時17分30秒
KNさん
<私はアルニコの方が良いと主張しているのでもありません。むしろ決>め付けているのは、サイトで主張している「科学的とはなにか」に関する文章です。 ・・・・・
つまり申し上げたい事は、常に疑問を持ち続ける事であって、物理原理の説明時点におけるモデル化とはあくまでも一面でしかないという事です。>


はい。その点は同意出来ます。そのつもりで書いています。いろいろ主張はしていますがこれが絶対だといっているわけではありません。そのそも科学に「絶対」という言葉はなじみません。私のHPを注意して読んで頂けると分かると思うんですが「断定的」な物言いをしている部分はごく一部のはずです。それぞれ「確度」を考慮して慎重に表現しているつもりです。

<マックスウエルの電磁気学も、相対性理論もそれは正しい物ですが,近似値であり、量子力学を含んでいるわけではありません。つまり、>科学が不完全、分かっていないのである、という事を十分認識した上で研究することが科学であって、断言することは間違いであるという事です。
先ほど述べたようなテストの結果が出る限り、現在の科学(聴覚に関>わる脳科学も含めて)を絶対視することは危険な感じがするのです。>


科学的とは・・・」の内容についてですか? さて、どこで科学ですべてが説明出来ると書いたでしょうか? いやむしろ説明出来ないことはたくさんあると書いたつもりですが? 量子力学は私の商売道具ですから常に頭にあります。ただ説明出来ないのは現象が複雑なだけで、量子力学を含めて現在確立されている物理理論の基礎を疑う必要はないと主張しているわけです。オーディオを論じるのに「超ひも理論」など持ち出す必要は無いというわけです。脳科学はまだ発展途上の科学です。およそ「絶対視」するような段階ではないと承知しています。ただ、言いたいのは感覚や意識は思いこみの影響を受けやすいと言うことで、これは脳科学ではほぼ確立された共通認識だと理解しています。思いこみの影響を排除するにはブラインドテスト以外には無いと主張していますが他に何か方法はありますか?

ブラインドテストを引用して主張しておられますが、ネット上で一方的のそう言われてもそれが信頼に値する結果かどうか判断しようがないので何とも言いかねます。仮にそれが厳密に行われた結果なら、測定の方法を工夫し精度を上げれば物理特性上にも何らかの差が出ているはずです。これを解析し原因を究明することによりはじめて科学的な「進歩」がなされるわけです(しかしこれはいつものことですが水掛け論になるので止めておきましょう)ちなみに私はCDプレーヤーに音質差があるならそれはDACを含めそれ以降のアナログ部にあるはずだと主張しています。

<私は海外在住ですが、日本でこのような傾向が顕著に感じられます。
日本のオーディオ業界が総崩れになったのはこのような所にも原因があるからではないでしょうか。>


このような傾向とは「科学を絶対視する?」という傾向のことでしょうか? 例えば、「ある装置の歪み率が 0.1% から 0.05% に改善されたからこちらの方がいいということで信じてしまう」という傾向があるという意味ならそうも言えますね。私も冒頭でリンクしている「高忠実度といい音」というコラムで物理特性のいい装置が必ずしも「いい音」がするとは限らないと書いています。日本人とは限らないでしょうが、科学のトレーニングを受けていない人は定性的説明だけで納得し量的な評価まで踏み込まない(踏み込めない)傾向がありますね。「似非科学」が蔓延する原因です。私に言わせれば「似非科学」を「科学」と勘違いするような傾向が蔓延したのが衰退の一つの(全てではないでしょうが)原因ではないかと思っています。

コメント
この投稿者の真意は私のHP全体を批判することにあるようですが、スピーカーの渦電流についての物理として取り上げました。なお、スピーカーの磁気回路の動特性についてはボイスコイルが及ぼす磁束変動と磁気抵抗の関係としてすでに
http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/magnetcirc.htm
で取り上げています。

最後に、科学的とは? に関して若い物理学徒のKI さんの投稿を紹介しておきます。

科学的とは 投稿者:KI 投稿日: 4月 1日(土)01時43分6秒

またもや科学はなんで正しいかの話になっているので、綴っておきます

<マックスウエルの電磁気学も、相対性理論もそれは正しい物ですが,近似値であり、量子力学を含んでいるわけではありません。つまり、科学が不完全、分かっていないのである、という事を十分認識した上で研究することが科学であって、断言することは間違いであるという事です。>

以下、実証主義科学の立場を取ることを前提の上で書きましょう。
マクスウェル理論相対論という言葉が出ているので、むしろ古典力学と比較することにします。
古典力学は正しいか?否、光速に近い慣性系ではローレンツ変換しないとダメミクロの世界ではどうか?物質の波動性が効いてくるのでシュレディンガー方程式に置き換えないとダメ 更に相対論的なら場の量子論でディラック方程式になると、物理法則は今までずっとわかっている部分からわからない部分へと定式を拡張されてきましたKNさんが言われるような、”常に疑問を持ち続ける事”によって進歩してきたものです。今までのものが絶対に正しいと思っていたら、新しい(=既存理論に外れる)結果を得ることなんてできるわけがありません。新しい理論や実証を捨て去ってしまうからです
よく科学者は頭でっかちで融通が効かないという偏見があるようです 僕の知る限り、そういう人で科学者を続けている人を見たことがありません

むしろいかに柔軟な発想で新しいことを見つけるかが科学者の仕事なので、こういった偏見はとてもナンセンスだと思います。別にマジックを見破れなかったら頭が固いわけでもないでしょう

物理法則はすべて近似だ、まったく正しい言葉です。
どんな実証でも、理論とぴったり一致させることは不可能です。測定値には必ず分解能があり、有効数字があります。それ以下の領域で語ることはできません
だからこそ誤差論や統計学があり、どこまで一致していれば正しいと言えるかということが重要になります

現在の科学の定説はなぜ定説たり得るのか、もちろん分野にもよるものの、今までに十分な回数確かめられ、現在の測定の分解能の範囲では実証と一致している、それを以って「科学的に正しい」と言うことはできても、それ以上の分解能でも一致しているとは語るものではありません(予想は立てられるけど)

科学者は現在の定説が正しいから分解能無限小でも正しいとみなしている、いう仮定を想定して話を進めておられるならお門違いですし、それが正しいとするともう科学者の仕事はなくなってしまうことになります(わからないことが存在しないから)

もちろん、上に書いたようなことは「実証主義科学の立場を取るなら」であり、そうでない人にはあてはまりません
すべてを宗教的に理解する人ならば、一言「万物は神の意思である」で片付けることもできます
「すべての法則は神の意思」、「法則にはみ出しているように見える、世の中の不思議なことは神の意思(気まぐれ)」、「6Nケーブルと8Nケーブルで音が変わるのは神の意思」
などなど、まったく矛盾なく説明をつけることが可能です。むしろ、科学的にどうこうとか難しいことを言い出さない分すっきりしていいかもしれません。ただしこういった主張は、こちらの「科学的とは・・」にも書かれているような、ポパーの定義を参考にして「反証可能性」の条件を満たさないので、実証主義科学の立場を取る者にとっては意味を持ちません

ただしこういった立場を取る人は存在してもよいと、僕は認めています。これは既に解釈の問題なので、科学的、論理的に話をすることができないからです。言論の自由を尊重してそういう解釈をしたいならしてもよい、ただし大人になったら自己責任です

僕はむしろ、実証主義科学の立場をとらない人の方がはるかに多いという風に感じています
全く科学を学ばないで科学的立場を取ろうとすることは困難だと思いますし、そうしない方が市民生活としては楽でしょう
マイナスイオン、磁気水、クライオ処理、除菌イオン、波動学、ピラミッドパワー、生命エネルギー、タウリン1000mg配合、DNAのスイッチといったニセ科学に踊らされても市民として生きていくことはできるだろうし、これらは見かけ上日常の疑問を一気に解決してくれるかもしれません
むしろ、こういう分野が得意な人の総意が今の市民感覚を生んでいて、AVの分野でも「科学は不十分で、何か神秘的な力が働いているのだ」と考えるようになってしまうのだろうと感じています 多くの場合それらは既存理論で片がついているのに、です

最後に、
「ガリレオのように、間違っているといわれて捨て去られた後で改めて認められた理論はたくさんある。しかし、科学的に間違っているといわれて捨て去られ、後になってもやっぱり間違っているとわかったものはそれより遥かに多い。つまり、ニセ科学はニセ科学であり、間違いは間違いである。」

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