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評論家・メーカーに一言

一つ前のテーマ「スピーカーの振動」でスピーカーボックスの箱鳴りの是非についての議論から派生した話題です。

Re: 箱鳴り  投稿者:NJ 投稿日:2009年 2月21日(土)18時58分37秒
志賀さん

ところで、真偽のほどは分らないんですが、さる有名な英国製ビンテージスピーカは適度の箱鳴りがあるのでいい音がするといわれているようですがどうなんでしょう?

小生のタンノイはVLZというブックシェルフ型で1960年代初等のものですが、ハコ鳴りはありません。ハコが鳴るという説もありますが、中には梳毛フェルトがギッシリ詰めてあり、ハコ鳴りする感じはしません。当時タンノイオートグラフがベストスピーカーと言われておりましたが、それを国産のハコに入れたものはどうもうまくないという評判でした。(こういう事を書くとトシが分かってしまいますなあ。)

 国産のものも、ユニットはモニターゴールド15"ですから本物と同じで、ハコは構造や寸法をコピーしたのでしょうが、同じに造っても音が違うというのはやはり本物はハコにもそれなりのキャラクターを与えていると言うことでしょう。

 この様なことはタンノイに限らずアルテックA-7、A-5にも言われて居り、中古品市場でボロボロのA-7用エンクロージャーが高価で取引されています。拙宅のA-4もハコのホーンのRの付いた部分は流石に振動は抑えられていますが、平面の部分は盛大に振動しています。今はホーンの出口の所を部材で補強して振動を抑えています。それで確かに音は変化した様に思いますが、良くなったか悪くなったかはちょっと言い難いです。測定すれば周波数レスポンスの変化がはっきり現れるような変わり方です。

 スピーカーの特性を見て、それだけで音質が良いか悪いかを判断するのは危険だと経験上悟りました。逆に言えば、スピーカーの全てを表すような特性は無い。少なくとも周波数レスポンス、インピーダンスカーブ、歪率だけでは判断できないと言うことでしょう。 例えば、1970年代、世間でもて囃されたモニターあるいはスタジオ用と銘打った有名メーカーのもの、周波数レスポンスや歪率などは特に問題も見あたらず、でも私はどうも納得行かなかった。理由は分からぬがイヤな音と感じました。

 たしか1977年のラ技増刊号だったと思いますが、トーンバーストで周波数を変化させて入力波形とスピーカーからの出力音波を比較したテスト結果が発表され、納得が行きました。くだんのモニタースピーカーは、1.5kHzあたりの波形が見るも無惨で、多分あのメーカーの誇る中域ドライバとショートホーン、音響レンズのどれかに欠陥があったのでしょう。蛇足ながら、同じ雑誌にアルテック612が載っていて、これは大きな欠陥が見あたらず、流石と思いました。

 長々と書きましたが、オーディオというヤツは、データでダメなものは勿論ダメ。データが良くても即信用するわけには行かない。結局最後は感性の世界と言うことのようで、しかも感性の領域が大きい。支配的とも言えましょう。つまりは技術的にまだ未熟であると言えます。

> 憶測で議論するのは良くないので測定データなどもう少し具体的な情報をお持ちの方があれば教えて下さい。

 タンノイではありませんが、昨年のMJ誌のスピーカー製作記事の中で、ハコを強化したものは周波数レスポンスに変化が現れ、「細かいピーク・ディップが消えた」とあったような記憶がありますが、雑誌を処分してしまって確認出来ません。どなたか覚えておられる方もおいでになると思いますが。

オーディオは感性? 投稿者:志賀 投稿日:2009年 2月21日(土)21時57分37秒 NJ さん

>・・・・・ 長々と書きましたが、オーディオというヤツは、データでダメなものは勿論ダメ。データが良くても即信用するわけには行かない。結局最後は感性の世界と言うことのようで、しかも感性の領域が大きい。支配的とも言えましょう。つまりは技術的にまだ未熟であると言えます。

スピーカーに関してはおっしゃる通りだと思います。そもそもスピーカーはあらゆるオーディオ装置の中で最も不完全なもので、こちら立てればあちら立たずといったところがあり、またブラインドで聴いても差はわかるのが普通で、結局「好みの問題」になるといったわけです。

しかし、オーディオ一般となるとそうはいきません。例えばケーブルの差やクロック精度などといったたぐいで、高精度の装置で測定すれば差は検出されても、その大きさはとても人間に検知されるはずのないような差で、ブラインドで聴けばとたんに差がわからなくなるような類のものです。 ところが、そう信じて聴けば確かに差が有るように聴こえ、それで自らの理論を検証したつもりになっているといった理論や説が五万とあります。これがオーディオ界を似非科学の世界に導く原因です。

実は、この現象は認知心理学ではよく知られた現象で「認知的不協和」というんだそうです。(例えば、下條信輔著「サブミナル・マインド」(中公新書)p.23 参照)

高価なケーブルを買うとケーブルの物理的「音」は変りようがないので、心的ストレスを解消するため「内的認知」つまり主観の方が変わるということだそうです。


Re: オーディオは感性? 投稿者:NJ 投稿日:2009年 2月21日(土)22時29分36秒 志賀さん

> スピーカーに関してはおっしゃる通りだと思います。 しかし、オーディオ一般となるとそうはいきません。

 あ、その通りでした。スピーカーと書くべきでした。特にアンプについては、音質の好みは別として使用部材、周波数ー出力特性(定格時と小出力時)と歪率でおおむね判断できると思います。

 私の持論ですが、工業製品とは、データで説明できるものでなければならない。感覚頼りの部分が大きいほど未成熟である、と思っております。オーディオのなかで一番音質を左右するスピーカーについて話題としていたので、ついオーディオと書いてしまいました。

評論家とは? 投稿者:NJ 投稿日:2009年 2月23日(月)14時26分43秒    

私はいわゆる”趣味のオーディオ雑誌”(技術系の雑誌でない)に登場する評論家とは、どの様な人種かと常に疑問を感じています。

 今に始まったことでなく、昔からそうです。例えば50年近く前になりますが、英国製のダブルコーンスピーカーで、6.5"また10"のものがありまして、スペックでは20〜20kHzなどと謳い、これに多くの評論家が賛辞を呈しておりましたが、私が実際に聴いた(その頃銀座のヤマハ楽器店で輸入高級オーディオを扱っており、今持っているタンノイVLZはそこで購入しました。そのとき各種有名スピーカーを納得行くまで試聴させて貰いました)ところでは、とんだ代物という感じでした。

 その後数年して、NJ平太郎氏(当時NHK技研)の著書に特性が掲載され、案の定低域の3次歪みは10%を超え、これでよく20Hzからなどと謳えるとそのメーカーや評論家に大きな不信感を抱きました。以来色々な”嘘”を見聞きし、オーディオ評論家なるものは大多数がメーカーの提灯持ちと見なしております。ごく一部に真面目な方も居られますが、大部分は信用されない方が良いでしょう。

 ”趣味のオーディオ雑誌”もそれなりに意義はあり、例えば室内音響処理の重要性などが連載記事で解説されていますが、その一方で、斯かる”感覚だけの、独りよがりの音質評価”や、”メーカーが某社であれば何でも褒める”しかも”価格が高級輸入車なみの値段でも、さも当然のように評価する”ような評論家が跋扈している。功罪相半ばすると言って良いでしょう。

 結局、自分の耳を訓練して、自分で判断できるようにするしかないですね。そうすれば”評論家の嘘”や、根拠のない感覚だけの”お話”は見破ることが出来ます。メーカーや輸入代理店が、整備された試聴室によくチューニングされたスピーカーを設置して聴かせてくれますから、そういう所に申し込んで試聴するのが良いです。
 多分雑誌の試聴評論などの場合はそれほどチューニングに手間を掛けてはいないだろうから、それらのスピーカーの本当の良さは出せていないと思います。そのメーカーなりの試聴室ならば、十分チューニングされているでしょう。

 それと共に、本物の(例えばN響とか、演奏旅行に来る外国のオーケストラとか)音楽を再々聴いて(これが重要と思います)、しっかり本物の音を掴んでおくことが大切だと思っております。欲を言えば、音のよいホールで聴く位置を決めておきます。ホールや聴く位置によって音質が異なるからです。
 それをしないと、いつの間にか”独りよがり”な音質調整になってしまいます。どうもスピーカーの音ばかり聴いている方の音質は、何となく本物と違い低域が盛り上がったような一見派手な、しかし誇張的なチューニングをされているように感じて仕方有りません。

Re 評論家とは? 投稿者:志賀 投稿日:2009年 2月23日(月)22時08分11秒    
NJさん

横からですが、NJさんの意見、ほとんどの点で私と一致しており、NHKのBS放送の録音を高く評価するなど、感性的にもかなり共通点があると思っています。しかし、根本的に違うところがあります。それは以下の点です。

> 結局、自分の耳を訓練して、自分で判断できるようにするしかないですね。そうすれば”評論家の嘘”や、根拠のない感覚だけの”お話”は見破ることが出来ます。

私は如何に経験を積んでも、主観は主観であり決して客観的評価に転化しないと考えています。いや、むしろますます遠ざかる可能性すらあります。先に例を出した、コンデンサースピーカーを愛好家の方もかなり経験を積んだ方で、主に室内楽を聴くのであれば大変いい選択をしておられると思っており、そのご意見も大変理にかなったものでした。ただ高く評価するスピーカーはNJさんのそれとは正反対の嗜好にあるようです。また、NJさんや私から見るといい加減なことを言っているとしか思えない評論家であっても、経験なら十分あると言われる方も多いでしょう。

私自身の意見は、むしろNJさんのそれに近いんですが、その理由は、音楽の嗜好,技術的経験や知識が近く、その背景があってはじめて結果的に同感できるところが多いんだと思っています。背景が違えばむしろその経験が深いほどオーディオ感が異なり「良し」とする音も違うんだろうと想像します。

たとえば、大学レベルの理系の教育を受けていない人であればいくら経験豊かでも、純度の高いケーブルを使うといい音がすると感じるのは全く自然なことであり、そんなことはないと理屈で説明しても納得してもらうのはほとんど不可能だと思っています。

そういう場合は、その人に厳密なブラインド条件で聴き分けられるか試してもらうしかないのですが、それでもいろんな理由を付けて納得しない人がいるようです。

そんなときは、「そもそも客観的とはどういうことか」というところから説き起こす必要があります。これについて

http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/objective.html

こういう意見を持っています。如何でしょう? もし、ここで言っていることに異論がなければ、上で言ったこと、「いくら経験を積んでも主観は主観であり当てに出来ない」という主張を理解してもらえると思うんですが?

ちなみに、NJさんと私の間に見解の相違があるとすれば、私は、最近の脳科学や認知心理学といった方面に興味があり素人なりに色々勉強をしていると言うことが原因のような気がします。如何でしょう?

Re: Re 評論家とは? 投稿者:NJ 投稿日:2009年 2月24日(火)01時40分56秒  
志賀さん

> 横からですが、NJさんの意見、ほとんどの点で私と一致しており、NHKのBS放送の録音を高く評価するなど、感性的にもかなり共通点があると思っています。

そのようですね。私もそう感じておりました。

>しかし、根本的に違うところがあります。それは以下の点です。

> 私は如何に経験を積んでも、主観は主観であり決して客観的評価に転化しないと考えています。いや、むしろますます遠ざかる可能性すらあります。

 これは確率の問題だと考えております。つまり或る事柄について、AだBだCだ・・・と言う人たちがいて、Cが多かったとすればCが最大集団、コモンセンスです。ある意味客観化したと言えるでしょう。ただし、Cが正しいことを証明したこととは違います。大勢が支持した、という事実が証明されただけです。従ってAの人、Bの人を否定することは出来ないし、否定してはいけない。しかし、証明なしにAが正しく他はダメという事を言う人が居れば、その人に対しては強くたしなめなければならないと思います。

 私は、実演を数多く聴くことによって、自分なりに実演のイメージが固まり、それはその人の主観だろうけれども、評論家の言うことに盲従することはなくなるであろうと考え、あのように書きました。

>先に例を出した、コンデンサースピーカーを愛好家の方もかなり経験を積んだ方で、主に室内楽を聴くのであれば大変いい選択をしておられると思っており、そのご意見も大変理にかなったものでした。ただ高く評価するスピーカはNJさんのそれとは正反対の嗜好にあるようです。<

 室内楽だけをお聴きになるのであれば私も良いスピーカーだと思います。ただしワグナーとかはどうですかねえ。その方も、多分こういったジャンルのものをQUADで聴こうとはなさらないでしょう。私は、主に聴くジャンルを先ず納得行くものとし、それが出来たら裾野を広げる事を考えます。先ずワグナー、ブルックナー、ブラームスですから、歪率を若干犠牲にしても音圧と立ち上がりの早さを採るのです。従ってホーンとなります。完璧無欠と思っているわけではありません。ただ、私のスペック=聴取位置で110数dB(SPL)、120dB(SPL)-1m は、この形式のもの以外は不可能と思っています。
 
しかし、私が室内楽再生だけのスピーカーを設置しようと仮に考えたとすれば、QUADも十分考えられます。まあ、タンノイVLZがありますから、買わないかも知れませんが。

>また、NJさんや私から見るといい加減なことを言っているとしか思えない評論家であっても、経験なら十分あると言われる方も多いでしょう。<

 別の投稿に書きましたが、いくら趣味のこととはいえ、いい加減なことを言ってはいけません。評論とは公的な性格が大きい。最大公約数的コメントが必要と思います。

 よく、スピーカーなどの音質評価を数名の評論家で行っているのがありますが、たまに甲論乙駁のケースがあって、これは良いと思います。論争点と色々な見方がわかるから、自ずと正しいものが見えてきます。ある評論家が私見を述べるのは結構だが、一般的でない意見ははっきり個人的意見と断るべきで、同時複数評価であればそれがハッキリします。すべて主観と経験だけで理論的根拠のない事柄を真実のように意見表明するのはおかしいと思います。

 個人としての発言は主観でも結構。他に影響を与えようとの意図はないから。だが公的立場の発言で根拠無い事を言うのは正義にもとります。

> 私自身の意見は、むしろNJさんのそれに近いんですが、その理由は、音楽の嗜好,技術的経験や知識が近く、その背景があってはじめて結果的に同感できるところが多いんだと思っています。背景が違えばむしろその経験が深いほどオーディオ感が異なり「良し」とする音も違うんだろうと想像します。

 確かにそうだと思います。私自身の専門は電気技術ですが、重厚長大の方で、オーディオとは遙か遠い世界ですが・・・・。オーディオは親父が趣味にして居ったので、アンプ作りやらスピーカーの調整を手伝わされているうち泥沼にはまりました。オーディオ歴は15〜16歳位から、高校の部活でアンプなどの技術担当をやったりで、50年以上になります。その間、可成り音楽会には足を運びました。ヨーロッパ特にドイツのオーケストラが来日すると、先ず何をおいても駆けつけたものですが、近頃は何かおかしくなって、去年のベルリンフィルは切符が売りきれ、残念でした。その前来たドレスデンは、良い席でも楽に入手出来たのに、何たることでしょう。ドイツではほぼ同格のオーケストラなのに・・・・。で、演奏会から帰って、あれと同じような音を出したい、これが私のオーディオ歴とオーディオ観、音楽感。

> たとえば、大学レベル理系の教育を受けていない人であればいくら経験豊かでも、純度の高いケーブルを使うといい音がすると感じるのは全く自然なことであり、そんなことはないと理屈で説明しても納得してもらうのはほとんど不可能だと思っています。 そういう場合は、その人に厳密なブラインド条件で聴き分けられるか試してもらうしかないのですが、それでもいろんな理由を付けて納得しない人がいるようです。<

 最後はその人が幸せに思うかどうかがポイントだと思います。もう、宗教と同じですね。キリストが実在したことは証明できるでしょうが、奇跡だの、聖遺物だのは宗教の世界かワグナーの世界です。疑問を感じない人、それを信じて幸せな人には、私は無理に現実を押しつける気にはならないのです。

> そんなときは、「そもそも客観的とはどういうことか」というところから説き起こす必要があります。これについて
>

http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/objective.html
>
> こういう意見を持っています。如何でしょう? もし、ここで言っていることに異論がなければ、上で言ったこと、「いくら経験を積んでも主観は主観であり当てに出来ない」という主張を理解してもらえると思うんですが?

 この資料の趣旨はよく分かりますし、内容に賛成します。ただ、「主観」と言っても確率的にかなりの共通の感覚が有ると思います。それが表に出たのが所謂「コモンセンス」だと思います。ただ、ホールへ行ってオーケストラを聴いては、と提案しても、座る場所は各人好みがあり、それは即ち音質の好みと考えられます。そこに至って主観が支配すると思っています。

> ちなみに、NJさんと私の間に見解の相違があるとすれば、私は、最近の脳科学や認知心理学といった方面に興味があり素人なりに色々勉強をしていると言うことが原因のような気がします。如何でしょう?<

 ウーン、その世界は私の一番の盲点でしょうねえ。

 最後に、これは言うと可成り差し障りが有ることなのでしょうが、オーディオに携わるプロの方たちの資質についてです。私の感じでは、今やアンプなどオーディオ機器メーカーの技術者の主流はAVの方に行ってしまい、ピュアオーディオには人材が欠けているように思います。

 例えば、クボテックのハニワ。これは画期的なシステムだと思いますが、如何思われますか。そのクボテックはオーディオメーカーではありません。他分野からチョイト首を突っ込んだ存在で、従来からのオーディオメーカーは何をしているんだろうと思っておりました。ところが、このHPでAVの世界では音場調整機能の付いたアンプがいくつも発売されていることを知り、ショックでしたねえ。ピュアオーディオと同じメーカーでしたから。ピュアオーディオの世界でも、室内音場調整は最大の問題の筈。この機能は是非必要なんだが。ユーザーからの要求も無いのでしょう。商売にならぬと思われているのでは。

 それで評論家。かつて録音技師をやっていたとか、ある程度技術の匂いをかいだ人は別として、公言をはばかることであるが、オーディオ機器をいじり回すことに終始しているオーディオ評論家とは、それなりの人物がいないと言うことのように思います。オーディオそのものがマイナーな世界で、しかも評論家を信じた結果損害が発生したとしても、世間から見れば所詮道楽の世界、主観の世界で、自己責任。評論家が責任を追及され引退せざるを得なくなるようなことは起こりませんからねえ。

Re2: 評論家とは? 投稿者:志賀 投稿日:2009年 2月24日(火)08時52分59秒    
NJ さん

レス有難うございます。以下の内容ほとんど私と同じ考えです。ただ、やはり想像していた通り解釈に差があるのは脳科学的見地を取り入れているかどうかという点にあるようです。ポイントは、音質評価のような主観に基づく評価は、同じ音を聴いても、その人のバックグラウンド、知識や体験が異なると違って聴こえるという点です。この点から、気がついてところをコメントさせて頂きます。

>> 私は如何に経験を積んでも、主観は主観であり決して客観的評価に転化しないと考えています。いや、むしろますます遠ざかる可能性すらあります。

>これは確率の問題だと考えております。つまり或る事柄について、AだBだCだ・・・と言う人たちがいて、Cが多かったとすればCが最大集団、コモンセンスです。ある意味客観化したと言えるでしょう。ただし、Cが正しいことを証明したこととは違います。大勢が支持した、という事実が証明されただけです。従ってAの人、Bの人を否定することは出来ないし、否定してはいけない。しかし、証明なしにAが正しく他はダメという事を言う人が居れば、その人に対しては強くたしなめなければならないと思います。

後半の部分はその通りなんですが、確率の問題で片付けるのは賛成できません。その人のバックグラウンドが大きく関係してくると思います。具体的に、自然科学を広範囲にかつ深く理解している人が、音楽体験とオーディオ体験に経験を積めば好みの問題を除けば必然的に見解は同じ方向に収斂してくるはずです。なぜなら科学、特に自然科学は客観的事実を基礎としているからです。

>私は、実演を数多く聴くことによって、自分なりに実演のイメージが固まり、それはその人の主観だろうけれども、評論家の言うことに盲従することはなくなるであろうと考え、あのように書きました。

「実演(しかも,たまには超一流の演奏を聴くことも必要だと思いますが)を多く聴き、常に自分のオーディオをチェックする必要がある」という点、私も全くその通りだと思います。しかし、これも、先に言った正しい知識があって初めていえることではないかと思っています。ちゃんとした学問に裏付けされた知識でなく、いわゆるオーディオ誌に満載されている似非科学的評論に納得した状態で経験を重ねると、大枠はともかく、細かい点で、必ずしも同じ方向に収斂するとは限らないと思います。始末が悪いのは、オーディオではこの細かい点(例えばケーブルの音質など)の違いに大金を投ずるといった羽目に陥るので注意が必要です。物理的には些細でも先入観により大きく違って聴こえることがあり得るからです。

>・・・しかし、私が室内楽再生だけのスピーカーを設置しようと仮に考えたとすれば、QUADも十分考えられます。まあ、タンノイLZがありますから、買わないかも知れませんが。

私もブルックナーやマーラーは大好きで環境が許す限り大音量で聴きたいと思っている方です。その点でも一致するんですが、そうでない人もいると言うことで、ここは好みの問題だと思います。

>>また、NJさんや私から見るといい加減なことを言っているとしか思えない評論家であっても、経験なら十分あると言われる方も多いでしょう。<

>別の投稿に書きましたが、いくら趣味のこととはいえ、いい加減なことを言ってはいけません。評論とは公的な性格が大きい。最大公約数的コメントが必要と思います。

>・・・一般的でない意見ははっきり個人的意見と断るべきで、同時複数評価であればそれがハッキリします。すべて主観と経験だけで理論的根拠のない事柄を真実のように意見表明するのはおかしいと思います。

この辺りその通りなんですが、もう少しその人達の立場から考えると、その人達も、決して嘘をついているとは思っていないんではないでしょうか? 自分の主観を客観的事実だと思い込んで発言しているんだと想像します。音質といった感性に係わることなら、これは断るまでもなく個人的意見でむしろ受け取る側の問題ではないでしょうか?

>個人としての発言は主観でも結構。他に影響を与えようとの意図はないから。だが公的立場の発言で根拠無い事を言うのは正義にもとります。

実は、十分根拠があると思って発言しているのではないでしょうか? 悲しいかな、ちゃんとした科学的知識がないと、えてしてこうなるものだと思います。ここでいう、ちゃんとした科学的知識とは定量的かつ客観的評価が出来るかどうかだと考えています。定性的理解と主観に基づく検証でとどまると、えてして似非科学に陥るものです

>・・・可成り音楽会には足を運びました。ヨーロッパ特にドイツのオーケストラが来日すると、先ず何をおいても駆けつけたものですが、近頃は何かおかしくなって、去年のベルリンフィルは切符が売りきれ、残念でした。その前来たドレスデンは、良い席でも楽に入手出来たのに、何たることでしょう。ドイツではほぼ同格のオーケストラなの・・・・。で、演奏会から帰って、あれと同じような音を出したい、これが私のオーディオ歴とオーディオ観、音楽感。

これもよく似ています。最近感動したのはヤンソンズのバイエルン放送交響楽団のブラームス1番、もう少しさかのぼると、アバド&BPOのマーラー3番というところでしょうか。若い頃はカラヤン&BPOも何回か聴きました。

>最後はその人が幸せに思うかどうかがポイントだと思います。もう、宗教と同じですね。キリストが実在したことは証明できるでしょうが、奇跡だの、聖遺物だのは宗教の世界かワグナーの世界です。疑問を感じない人、それを信じて幸せな人には、私は無理に現実を押しつける気にはならないのです。

これもその通りです。異存ありません。

> そんなときは、「そもそも客観的とはどういうことか」というところから説き起こす必要があります。これについて

http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/objective.html
>
>> こういう意見を持っています。如何でしょう? もし、ここで言っていることに異論がなければ、上で言ったこと、「いくら経験を積んでも主観は主観であり当てに出来ない」という主張を理解してもらえると思うんですが?<

>この資料の趣旨はよく分かりますし、内容に賛成します。ただ、「主観」と言っても確率的にかなりの共通の感覚が有ると思います。それが表に出たのが所謂「コモンセンス」だと思います。

オーディオ装置は所詮工業製品ですから、上で述べたように、正しく理解するには正しい知識が必要です。これがあれば、ほぼ共通の感覚が得られるんだと思います。つまり、感覚はその背景にある知識や体験に大きく支配されるというのが脳科学的解釈です。

>ただ、ホールへ行ってオーケストラを聴いては、と提案しても、座る場所は各人好みがあり、それは即ち音質の好みと考えられます。そこに至って主観が支配すると思っています。

これにも全く異存はありません。

>> ちなみに、NJさんと私の間に見解の相違があるとすれば、私は、最近の脳科学や認知心理学といった方面に興味があり素人なりに色々勉強をしていると言うことが原因のような気がします。如何でしょう?<

>ウーン、その世界は私の一番の盲点でしょうねえ。

ちょっと囓ってみて下さい。恐らく、見解はかなり変わってくると思いますよ。私のHPのあちこちに入門書が紹介してあります。

>最後に、これは言うと可成り差し障りが有ることなのでしょうが、オーディオに携わるプロの方たちの資質についてです。私の感じでは、今やアンプなどオーディオ機器メーカーの技術者の主流はAVの方に行ってしまい、ピュアオーディオには人材が欠けているように思います。

まあ、これは言わぬが華かもしれません。最近は、れっきとした企業でも、評論家や一部マニアの尻馬に乗り似非科学的製品を売り出しているのを苦々しく思っています。ただし、その宣伝文を注意深く読むと結局責任がユーザーにかかるような表現になっているようです。

>例えば、クボテックのハニワ。これは画期的なシステムだと思いますが、如何思われますか。そのクボテックはオーディオメーカーではありません。他分野からチョイト首を突っ込んだ存在で、従来からのオーディオメーカーは何をしているんだろうと思っておりました。

まあ、ここまでやるかという感じですね。実際に見たことも聴いたこともないのでノーコメントとします。

>ところが、このHPでAVの世界では音場調整機能の付いたアンプがいくつも発売されていることを知り、ショックでしたねえ。ピュアオーディオと同じメーカーでしたから。ピュアオーディオの世界でも、室内音場調整は最大の問題の筈。この機能は是非必要なんだが。ユーザーからの要求も無いのでしょう。商売にならぬと思われているのでは。

私もよく知らなかったんですがAVの分野、特に圧縮音やDSPの分野ではブラインド条件での客観的な評価が当然のこととして行なわれているからではないでしょうか? それに対していわゆるピュアオーディオではこれは御法度になっているようです。

>それで評論家。かつて録音技師をやっていたとか、ある程度技術の匂いをかいだ人は別として、・・・・

必ずしも技術の匂いををかいだ人が正しいことをいうとは限らないようですよ。この辺りのことは、

http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/copernican.htm#hyoronka

に書いておきました。

Re: Re2: 評論家とは? 投稿者:NJ 投稿日:2009年 2月24日(火)13時04分6秒 志賀さん

>やはり想像していた通り解釈に差があるのは脳科学的見地を取り入れているかどうかという点にあるようです。<> ちなみに、NJさんと私の間に見解の相違があるとすれば、私は、最近の脳科学や認知心理学といった方面に興味があり素人なりに色々勉強をしていると言うことが原因のような気がします。如何でしょう?ちょっと囓ってみて下さい。恐らく、見解はかなり変わってくると思いますよ。<

 どうもそうみたいですね。少し囓ってみましょう。私の同期に、専門家と言うわけではないが脳に詳しいのもおりますので、一応の知識が付いて彼と話が出来るようになったところで、彼の意見も聞いてみたいと思います。

>>ポイントは、音質評価のような主観に基づく評価は、同じ音を聴いても、その人のバックグラウンド、知識や体験が異なると違って聴こえるという点です。この点から、気がついてところをコメントさせて頂きます。
私は如何に経験を積んでも、主観は主観であり決して客観的評価に転化しないと考えています。いや、むしろますます遠ざかる可能性すらあります。


>「これは確率の問題だと考えております。」

> 確率の問題で片付けるのは賛成できません。その人のバックグラウンドが大きく関係してくると思います。<

 バックグラウンドにより考え方やモノへの反応が異なるというのは大いに肯けます。確率の問題は発展的で、それで片付けるのではなくバックグラウンドにより異なるとなれば母集団をそう言う分類ごとに統計を取るという手法になります。その結果に差が出れば、バックグラウンドによる違いが浮き彫りになります。ただ、確率が高いことが直ちに[正しい]に結びつくとは限りません。

>具体的に、自然科学を広範囲にかつ深く理解している人が、音楽体験とオーディオ体験に経験を積めば好みの問題を除けば必然的に見解は同じ方向に収斂してくるはずです。なぜなら科学、特に自然科学は客観的事実を基礎としているからです。<

 その通りです。ただ、好みの問題についてコメントすれば、その人がどんなジャンルのものを中心として力点を置いて聴くかで選択が変わる。ジャズばかり聴く人がQUADはないでしょうし、室内楽オンリーの人がQUADは当然の帰結。これは多分「好み」というより「必然の結論」みたいに思います。つまりはスピーカーは一種で全てカバー出来るほど成熟していないからです。

> ちゃんとした学問に裏付けされた知識でなく、いわゆるオーディオ誌に満載されている似非科学的評論に納得した状態で経験を重ねると、大枠はともかく、細かい点で、必ずしも同じ方向に収斂するとは限らないと思います。始末が悪いのは、オーディオではこの細かい点(例えばケーブルの音質など)の違いに大金を投ずるといった羽目に陥るので注意が必要です。<

 私は、趣味とは言いながら、文系の人でも易しい音響工学の入門書くらいは読むべきと思います。例えば、SS誌に室内音響の話が連載されていました。あれは技術系でなくも理解できます。誠文堂新光社あたりから良い本が出ています。囲碁将棋だって、気の利いた人(いや、普通の人も)は定跡の本くらい読むのですから。最低限の努力もしないで手を出すのは、趣味と言えず、道楽です(落語でいう道落?)。

>物理的には些細でも先入観により大きく違って聴こえることがあり得るからです。<

 最低限の技術常識を踏まえ、その上で人間の心理に根ざしたことであれば敢えて否定しません。「先入観」により「好み」が大きく影響された、と言うことでしょう。

> 私もブルックナーやマーラーは大好きで環境が許す限り大音量で聴きたいと思っている方です。その点でも一致するんですが、そうでない人もいると言うことで、ここは好みの問題だと思います。

 そうですね。まあ好みの問題というより、そういうことが許される環境にあるかないかと言うことでしょう。

「一般的でない意見ははっきり個人的意見と断るべきで、同時複数評価であればそれがハッキリします。すべて主観と経験だけで理論的根拠のない事柄を真実のように意見表明するのはおかしいと思います。」

> この辺りその通りなんですが、もう少しその人達の立場から考えると、その人達も、決して嘘をついているとは思っていないんではないでしょうか? 自分の主観を客観的事実だと思い込んで発言しているんだと想像します。音質といった感性に係わることなら、これは断るまでもなく個人的意見でむしろ受け取る側の問題ではないでしょうか?

「個人としての発言は主観でも結構。他に影響を与えようとの意図はないから。だが公的立場の発言で根拠無い事を言うのは正義にもとります。」

> 実は、十分根拠があると思って発言しているのではないでしょうか? 悲しいかな、ちゃんとした科学的知識がないと、えてしてこうなるものだと思います。

 ここで、オーディオ評論家とは何ぞやという命題に逢着します。ここらが志賀さんと違うところです。私はある種のコンサルタントであると思っております。なぜなら、多くの人がその意見を参考に行動する可能性が有るからです。

 コンサルタントは、思い込みや主観で意見を述べてはならないのです。また、客観的、科学的事実でコメントしなければならない。顧客が素人であっても、詳しい人であっても、それによって差別してはならず、顧客の利益を第一にしなくてはならない。ところが、殆どの評論家はそうでない。とすれば、評論家ってなんだろう。

少なくも、雑誌に名前入りで書いたモノが掲載され、多くの人の参考になることを意識している以上、実質的にコンサルタントなのだけれども、彼らにはそう言う認識がない。

 実は、私は所謂建設コンサルタント会社に所属しており、長らく技術コンサルタント団体の「倫理問題」に関与して倫理要綱を決めたりしておりましたので、考え方が少し厳しいかも知れませんが、顧客から相談を受けたとき、「主観、思い込みなどで回答してはならない」のはコンサルのABCです。自己批判が必要なのです。コンサルの回答を歪曲したりしなければ、受け取る側の責任は問えません。
 それにしても、コンサル業界であれば、公的場面においては変な業者は淘汰されて行きますが、それは顧客の知恵です。オーディオ界では顧客に知恵がないのでしょう。

「可成り音楽会には足を運びました。ヨーロッパ特にドイツのオーケストラが来日すると、先ず何をおいても駆けつけたものです。」

> これもよく似ています。最近感動したのはヤンソンズのバイエルン放送交響楽団のブラームス1番、もう少しさかのぼると、アバド&BPOのマーラー3番というところでしょうか。若い頃はカラヤン&BPOも何回か聴きました。<

 3〜4年前のハイティンク&ドレスデン、ブルックナー8番が秀逸でした。最近ではこの2月にヤノウスキ&RIASが鎌倉に来ました。好演でしたが、ヤノウスキは多少お疲れ気味でした。
 私が最もショックだったのは、もう30年くらい前、ブルックナー4番をN響で聴き、一週間後にドレスデン(指揮はブロムシュテット)で聴いて、低域の力強さの違いに唖然としたことです。以来、音響のスタンダードはドイツのメジャーオーケストラにしています。それで、そう言うのが来日すると何をおいても聴きに行きます。

>オーディオ装置は所詮工業製品ですから、上で述べたように、正しく理解するには正しい知識が必要です。これがあれば、ほぼ共通の感覚が得られるんだと思います。つまり、感覚はその背景にある知識や体験に大きく支配されるというのが脳科学的解釈です。<

 その通りです。更に言えば、ユーザーも音響の基本は理解しておくべきです。モノに例えれば、コンポは自転車、ハイクラスのオーディオは自動車で、自動車の運転をするには勉強して免許を取らねばなりません。最低限の勉強もしない人がカネに任せて怪しげなモノをはやらせれば、無免許の運転者が跋扈して道路交通が滅茶滅茶になると同じようなことになります。

「例えば、クボテックのハニワ。」

> まあ、ここまでやるかという感じですね。実際に見たことも聴いたこともないのでノーコメントとします。

 これは画期的なシステムだと思いますが、私が言いたいのは中身の色々でなく、他分野からチョイト首を突っ込んだ存在にこういう提案をされ、従来からのオーディオメーカーは恥ずかしくないのか、何をしているんだろうということです。

> いわゆるピュアオーディオではこれは御法度になっているようです。

 そう言うことが情けないのです。グライコは使わないとか、些細な事でなく基本的な事柄でもいわれのない迷信が跋扈しています。このままではピュアオーディオという世界は一般社会から相手にされなくなるでしょう。

技術の転用 投稿者:志賀 投稿日:2009年 2月25日(水)10時15分48秒  
NJ さん

>>>「例えば、クボテックのハニワ。」

>>まあ、ここまでやるかという感じですね。実際に見たことも聴いたこともないのでノーコメントとします。<

>これは画期的なシステムだと思いますが、私が言いたいのは中身の色々でなく、他分野からチョイト首を突っ込んだ存在にこういう提案をされ、従来からのオーディオメーカーは恥ずかしくないのか、何をしているんだろうということです。

この話とは直接関係ないですが、最近のオーディオ製品の一般的傾向として、技術の転用がしばしば見られます。技術の転用そのものは決して悪いことではないですが、それがオーディオ製品となるとちょっと違います。つまり、他の分野で必要に迫られ開発した製品を、必要性もないのにオーディオ製品に転用し「画期的性能を誇る」と称し、過剰性能の製品をきわめて高価な価格で売り出すという手です。典型的なのが超電導線のシース材などのために開発された超高純度銅を転用したオーディオケーブルなどです。DACの必要以上のマルチビット化などもコンピュータのために開発された技術の転用でしょう。

ユーザーは言葉巧みな宣伝文句を信じ使うと、確かに心理効果によっていいと感じるわけです。もちろん、メーカー側ではブラインドテストなどの客観的評価を行なっているわけでなく、宣伝文をよく読むと、直接的な表現で「音質が良くなる」とは言ってないと思います。

ガレージメーカーならともかく、最近ではれっきとした大企業までも(たいがい系列子会社の製品としているようですが)この手を使っているようです。これって工業倫理にもとる行為だと思うんですが如何でしょう?


Re: 技術の転用 投稿者:NJ 投稿日:2009年 2月25日(水)11時27分58秒  
志賀さん

>ガレージメーカーならともかく、最近ではれっきとした大企業までも(たいがい系列子会社の製品としているようですが)この手を使っているようです。これって工業倫理にもとる行為だと思うんですが如何でしょう?

 実は私も日本の大企業の中にモラル的に問題な会社が多いと感じています。それも困ったことにリーディングカンパニーであるケースが多い。例えば最近話題になった保険金の支払い拒否とか。政府に担当相まで出来ちゃった。そのほかにも私の今までの経験で、皆さんが「えっ」と言うような大企業がインモラルな行動をとりました。全て利益のためで、アメリカほど顕著ではないですが、会社の体質として定着しているようで、極めて問題と思っています。

 ところで、クボテックですが、私が知ったのは3年ほど前、確かSS誌のニュース欄だったように記憶していますが、社長の趣味がオーディオで、自分の会社の工作キカイを使って色々やっていたらしく、趣味が昂じて製品化してしまったようです。

 中身は、当然オールホーン、Avantgardeと違い、中域以上はコンプレッションドライバーらしい。低域のみウーファープラスショートホーンという構成で、特長はプリアンプからスピーカーまでくるめたシステムで、自動音場調整および自動タイムアラインメント調整機能を持っていることです。

 丁度その頃、私はアルテックA-4(構成はウーファーコーン型、スコーカーはコンプレッションドライバにホーン、うちのはツイーターを付加しています)の音を調整中で、チャンネルアンプ方式としてBehringerのグライコで自動音場調整をし、チャンデバで自動タイムアラインメント調整をしていましが、偶々、私のシステムと同じような発想、構成で、世の中同じ事を考える人もいるなあ(考えてみれば当たり前の方法だが)と思ったので、記憶に残ったのです。

 と同時に従来からのオーディオメーカーはどうしてこういう発想が無いのだろう、また、こういうものを造っても売れないからか?そうとすれば、オーディオファンというのはどういう人種なのだろうと、大変疑問に思いました。(志賀さんのHPの、脳の科学資料を読ませて頂き、この人種は思い込みの最終段階の人達じゃあないかと。)

 別にクボテックを弁護する必要はないが、所謂余ったモノを売りつけるようなケースではないと思います。それに、余技的な製品ですし、別に売れなくても困らないのでは(多分部門的には赤字でしょう)、と考えるに至ったとき、(社長の道楽にも困ったものだと社員は思っているかも?)ひょっとするとクボテックの社長も今のオーディオ界に対し、私と同じような考えを持っているのかも知れないなあ、と思いました。

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