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1968年から69年にかけて、オックスフォードの少し南、バークシャー州ハウエル(Harwel)村にあるイギリス原子力研究機構(AERE Atomic Energy Research Establishment) ハウエル原子力研究所固体物理部に約一年間滞在した。この研究所には当時世界最大級の研究用原子炉が2基あり、原子力の研究だけでなく、原子炉やそれが発生する中性子ビームを利用する基礎科学研究の世界的なメッカとなっていた。我々の固体物理学の分野でも超伝導で有名なロンドン兄弟、物性理論のハバード博士など蒼々たるメンバーがスタッフとして働いていた。残念ながら、現在では英国の科学技術政策の転換により、民営化され研究請負業務が中心となっており基礎研究はほとんど行われていないようである。

研究所が位置するハウエル村(右地図中心左)は典型的な南イングランドの田園地帯のまっただ中にあり、少し足を伸ばせば、オックスフォード、ストラトフォード、ソールスベリー、バースなど歴史ある町が点在し、また周囲にはコッツウォルドに代表される美しい田園地帯が広がっている。また、ロンドンも列車や車で1時間ほどの距離にある。

以下にこの間に撮りためた写真を中心に周辺の歴史や景観を紹介する。滞在したのは、春4月から、翌年の3月までで、季節を追って紹介するが前後することもある。

紹介するのは、ハウエル村周辺、ソールスベリー周辺バースストラドフォードコッツウォルドオックスフォードロンドンといったところである。

なお、最近の南イングランド風景はここを見て下さい

原子力研究所とその周辺


AEREハウエル研究所の全景。なだらかな田園地帯に忽然と大研究所の建物群が出現する。
この写真の右に2基の巨大な研究用原子炉が稼働していた。

周辺は典型的なイギリスの田園地帯で、6月になると一斉に花が咲き一年で最も美しい季節となる。また、緯度が高いので日が長く、夜の10時になっても明るい。 そのため、人々は仕事が終った後スポーツや散策を楽しむ。

逆に10月にもなると昼が短く午後4時頃から暗くなり始め、さらに天候も悪くなり陰鬱な冬となる。

研究所周辺点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


研究用原子炉
当時は世界最大級

火力発電所
煙突のようなものは冷却塔

ホッケー
付属のホッケー場
サッカー場やテニスコートクリケットグランドなどもある

宿舎
裏に庭に紫のライラック、ゴールドチェインなどが咲く

ゴールド
チェイン

近写

田園風景

ランボーンダウンズ(Lamborn Downs)

ヨーロッパはアルプス地方を除いて地質が古く、日本のような平地から屹立する山はなく、緩慢な起伏が広がるのみのところが多い。イギリス南部も見渡す限り丘(Hills)や谷(Valley  といっても単に低い土地)が広がっている。このような地形をダウンズ(Downs)と呼んでいる。地表には木は少なく、牧草地や麦畑となっており緑におおわれている。

左の写真はハウエルから西へ少しいったところに広がるランボーンダウンズと呼ばれるところ。この付近の地層は白い岩で出来ており表土を取ると白い地肌が現れる。これを利用し太古の昔から、丘の中腹に馬などの絵が描かれているところがある。写真はないが有名なアッフィントン(Uffington)の白馬というのもこの近くである。

また、この辺りに、古代ブリテン島がローマの属州であった頃の軍用道が、起伏とは関係なく、まるで定規ではかったように一直線に地平線の彼方に伸びているのが印象的。

ランボーンダウン点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


ローマ街道(?)
野山を直線的に走るローマ時代のの軍道

牧 場

のんびり草をはむ牛

小川の近くの家

コッテイジ
(田舎家)

小川と少年

近郊点描  下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


ヘンレー
テムス川沿いのまち
レガッタで有名

ヘンレ
Henley-on-Thames

古い町並み
Wantage

森の小径

新しい住宅

近郊点描 秋から冬へ 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


牧 場
ランボーンダウン

初秋の宿舎

冬の宿舎

雪の林

付近の城館など

歴史のあるイギリスにはあちこちに貴族の館や城、領主達の館(マナーハウス)が点在する。ここでは、付近の、あるいは少し足を延ばしたところにある、いくつかの城館を紹介する。


ブレナム宮殿(Blemheim Palace)

オックスフォードの北郊ウッドストック(Woodstock)にある周囲十数キロ、面積11平方キロの広大な敷地にあるマールバラ公爵(Duke of Marlborough)チャーチル家の所有する宮殿。18世紀初頭のスペイン継承戦争のおり、先祖のジョン・チャーチル率いるイギリス軍がドイツのブレンハイムで大勝し、時のアン女王より恩賞として下暢された土地に建てられた。

第二次大戦の時のイギリス首相ウインストン・チャーチルは公爵家の分家の出でこの館で誕生した。

写真は庭園の入り口付近に立つご先祖のモニュメント。この後ろに見渡す限り庭園が広がっている。

付近の城館 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


ブレナム宮殿
正面

ブレナム宮殿

ブレナム宮殿
内部

ウインザー城
(火災前)
背後はテムス川

ウインザー城
Windsor Castle
(Round Tower)

ウォリック城
ストラドフォードの東にある中世の名城
よく整備されている

ウォリック城
Warwick Castle
塔と城壁

内部の展示

ミルトン・
マナーハウス

Milton Manor House
近所の領主館内部は公開されている

マナーハウスに飾られていた
ムリッリョの絵


ドニントン城跡
Donnington Castle
ハウエルの南ニューベリーの郊外の丘の上に立つ廃城

ソールズベリーとその周辺

イギリス南西部のこの付近は珍しく平坦な土地が広がりソールズベリー平原と呼ばれでいる。高い尖塔をもつ大聖堂が有名だが、ストーンヘンジなどの先史時代からの遺跡が多く見られる。

ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedoral)

その中心がカトリックの司教座が置かれたソールズベリーで高さ129mのイギリス最高の尖塔をもつ大聖堂が遙か彼方から現れる。13世紀に建てられたゴシック様式の教会



大聖堂点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります 

ストーンヘンジ(Stonehenge)

先史時代、BC3000年からBC1000にわたって何期かに分けて作られた謎の巨大石造物。

第一期は土塁と木柱で出来ていたらしいがBC2100頃の第2期工事でウエールズ地方に産するの数トンの巨石を数十個延々400km近く海上・陸上を経て運び込んだ。BC2000頃から始まる第3期工事で25tから50tに及ぶサーセン石という巨石を近くのマールバラ・ダウンズから運び込んだといわれている。現在目にする巨石の立柱はこの頃のもので、比較的小さな石は後世になり建築用材として持ち去られたらしい。

この建造物が何を目的として建てられたかははっきりしないが、その位置関係から天体の動きと関係があるらしく何らかの宗教施設ではないかと考えられているようである。

現在は見学路への進入しか許されていないが、私が訪れた頃は自由に入れ巨石群を手に触れることが出来た。

最近(2021年6月)NHKのBS放送でストーンヘンジの特集番組が放映され、ストーンヘンジを中心とする大きな円周上に小さな穴の列があり、その中から多数の人骨が発掘されたということで、これが古代人の墓であったのではないかという説が有力になっている。


ストーンヘンジとその周辺点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


この当時は自由に入ることが出来た

この間隙が夏至の太陽が出る方向にある

エイヴベリーの環状列石
Avebury Circle
ストーンヘンジと同じ頃作られた

最大65tの未加工のサーセン石が100個以上直径450mの円環上に立てられている

シルベリー・ヒル
Silbury Hill

BC2500頃に作られた円墳

バース

バース(Bath)は言うまでもなく英語の風呂の語源となった町。

先史時代から原住民にここに温泉が湧くことは知られていたようだが、1世紀にこの地を属州にした風呂好きのローマ人が見逃すはずはなく立派な神殿が付属した温泉浴場を建設した。ローマ人により300年ほど使われていたらしいが、その後侵攻してきたサクソン人は風呂などには興味を示さず、石材の採取場にしてすぐ荒廃してしまった。そのため主要施設が早くから土中に埋まり近世になってから発掘すると、実際に使用していた頃の施設や遺物が数多く出土し貴重な遺跡となっている。例えば、浴槽の下に大きな鉛板が水漏れ防止のため敷設されていたのが発見されている。現在は、昔の姿がかなり復元されローマ浴場博物館(Roman Baths Museum)として公開されている。

温泉とは別に、この地には中世に修道院が作られ、さらに10世紀には現在見られる大聖堂(Bath Abbey)が建設され教区の中心地となった。

さらに17世紀頃から、再び温泉が見直され、貴族や富裕層の温泉保養地として再開発され現在の姿になった。

バース点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


主浴槽

バース寺院

その内部

ステンドグラス

ロイヤルクレッセント
18世紀に建てられた高級分譲マンション

Royal Crecent

ストラドフォード・アポン・エイヴォン

ストラドフォード・アポン・エイヴォン(Stradford-upon-Avon)

シェイクスピアの生まれた町。

エイボン川の渡河地点にあり中世から市場町として栄えた。

左はシェイクスピアの生家。内部は公開されている。

その他、葬られた教会、通っていた学校なども残されている。

また、シェイクスピアを記念してロイヤル・シェイクスピア劇場があり毎年演劇祭が開かれにぎわう。

ストラドフォード点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


生家の裏側
庭には劇に登場する木々が植えられてい

生家に隣接する庭園

シェイクスピアが通っていた学校

ホーリー・
トリニティー教会

ここに葬られている

エイヴォン川に架かる橋

ロイヤル・シェイクスピア劇場

コッツウォルズ

チッピング・カムデン(Chipping Camden)

コッツウォルズ(Cotswolds)の代表的な町

コッツウォルズはストラドフォード・バース・オックスフォードを結ぶ3角形の中にまたがる丘陵地帯で、美しい田園と独特の石材を使った建物が点在し典型的なイングランドの田園風景として観光客に人気がある。

この地は、すでにローマの属州時代に牧羊に適した土地として見いだされ、寒さを凌ぐため毛織物の生産を発展させた。ローマ人の撤退後も牧羊と毛織物生産は続き、中世になるとヨーロッパの一大毛織物産地として栄えた。そのため豊かな農園主・工場主が多く立派な建物や教会を造った。しかし、産業革命後は石炭を産しないため急速に廃れた。これが幸いし環境破壊を免れ、現在もその頃の姿がよく保存されている。

コッツウォルズ点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


チッピング・
カムデン

チッピング・
カムデン

 町の教会

内部

ブロードウエイ・
タワー

ブロードウエイ・タワーより

スノウ・ヒル
Snow Hill

ギッティング・パワー
Guiting Power

ギッティング・パワ

帰り道

オックスフォード

有名な大学町であるが、郊外には自動車などの産業も盛んで活気に満ちた町である。研究所に最も近い大きな町で買い物にしばしば訪れた。

オール・ソウルズ・カレッジ(All Souls College)


1438年創立のカレッジ 修道院風の建物がよく保存されている。



オックスフォード市内点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


ライスト・チャーチ・カレッジ
Christ Charch College

トム・タワー
Tom Tower

アシュモリアン・
ミュジアム

ハイストリート
High St.

シェルドニアン・シアター


ブロード・ストリート
Broad St.

コーンマーケット通
Corn Market St

ロンドン

ロンドンの歴史はローマ軍がブリタニア征服のため、テムス川の水運を利用するのに便利なこの地にロンジニウムと名付けた補給基地を築いたのに始まる。その後、ここを起点として各地にローマ街道が張り巡らされ、ブリタニアの中心都市として栄えた。ローマ帝国崩壊後も大陸への窓口に当たるため商業都市として栄え、ノルマン征服王朝がここを首都と定めたので政治・経済の中心となり近世になり大英帝国の首都として一時は世界最大の都市となった。


ビッグベンとパーリアメント

言うまでもなくイギリスの国会議事堂

中心部点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


バッキンガム宮殿
正面

衛兵交代


セントポール寺院

セントポール寺院

寺院の前で

内部

ケンジントン・
ガーデン

リージェント・パーク
入り口

ロイヤル・エクスチェンジ

トラファルガー・スクエア

ラッセルスクエア
この付近で最近の同時多発テロでバスが爆破された

ロンドン大学

ロンドン塔(Tower of London)

ロンドン塔はウイリアム征服王がロンドンを支配するため、この地に城を築いたことに始まる。

その後も王家の軍事的拠点として拡張されたが、後には政治犯の牢獄として使用され多くの国事犯がここで処刑された。

現在は博物館として公開されており中世の武具などが数多く展示されている。 その一角の堅牢な建物に王家の王冠を始め多数の宝物が保管されている。

ロンドン塔点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


入り口

ガード

ロンドン塔のカラス
この後ろの建物がロンドン塔

タワーブリッジと大砲

王冠

王杖と宝珠

全景
パンフレットより

全景
タワーブリッジから
パンフレットよりより

大英博物館

ロンドンには博物館・美術館が無数にある。大英博物館はその中心で世界最大級のコレクションを誇る。

左はロゼッタ石で、ナポレオンがエジプト遠征をしたとき発見し持ち帰ったものだが、ナポレオン戦争の勝利者であるイギリスが戦利品として獲得した。上段、中断に2種類の象形文字(ヒエログリフ)下段にギリシャ語訳が書かれており、フランスのシャンポリオンがこれを元にヒエログリフの解読に成功した。

大英博物館点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


正面

バルテノン室

バルテノン室

バッハの平均率手稿

自然史博物館

化石、鉱石、動植物標本など自然科学に関する多数の資料が集められている。さらに、イギリスを中心とした科学者や技術者の発明品、実験道具、手稿なども展示されており、科学を志す人には必見。

左はトリケラトプスの化石



自然史博物館点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


ハーシェルの望遠鏡

ワットの蒸気機関

ベンツの自動車

ロケット号

クリスマスのロンドン

12月のロンドンは日が暮れるのが早い。

主な通りはクリスマスツリーやイルミネーションが飾られ華やかになる。

左写真はリージェント通り(Regent Street)

クリスマスのロンドン点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


オックスフォード通り
Oxford Street

ピカデリーサーカス
Piccadilly Circus

カナビー通り

トラファルガー広場
Trafalgar Square

ネルソン像

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